そろそろおいとまかー

はてな、にいられる年でもなくなってるわけで。

いつか来るよなーと思っていたけど、一連の読んでてあーあーやめてーという感じで、いろいろ視界から外そうとはしていたのだが間に合わずというか。べつに年下の社長さんとかいっぱいいるわけで、その意味ではなにをか今さらという心にならないのはなんだろうね。アドバイスの形式でそのアドバイス、本気で有効だと思ってるの?的な欺瞞(?)に意気消沈する心なんだろうか。その辺、よく分からない。なぜここにいるの?みたいな。同じ年のころはまだ引き篭もりで働いてさえいなかった自分が今なにをしようとしているのか、その矛盾に苛立つだけなのか。同人雑誌で小説(笑)書いてたわけで。id:某と批評書き合ってたですよw 彼が結婚したことを知ったのは衝撃というか、棒読みというか。

自分の中で、健保継続権利を取った、という意識がかすかにある。次は失業保険給付権だな、と思うのだが、そこまでもたないようでは、いやもったとしても、転職ジプシーで人に迷惑かけるだけの真性ゴクツブシ。身分のあるうちに家賃を下げたいという焦りばかりが募る。無職になると、引越しもままならない。なぜ家賃が高いか。それは株で1300万も儲けたからですね、わかります。すべての始まりですよ。うち500万ぐらい散財で溶かしたわけだ。溶かしたのに恋人をつくることもできず君。高価なマンションでキャッキャウフフは数日しか持たなかったね、それもぜんぜん楽しくないわけでさ。思い知りましたよ。若い頃の生活水準・スタイルに戻せば、まだ生きていけるはず。

でもそれぐらいは書く気にさせてくれることに感謝か。

休学したことないし休職もしたことないよ、あとクスリなんか飲まないよ、という線引きでメンヘルには区分けされたくないなぁと思っていて、自分の苦しみは心の病ではなくて皮膚の病だし、という意味は、心の病はつきつめたら肝臓の病だったり血液の病だったり顔の形の病だったり、人それぞれじゃないの?という意識なんだけど。

実は実家に帰りたいかも、ひきこもらせてくれ、(おとうさん、あなたの年金生活に寄生させてください)という意味に取られて差し支えない鎌をかけてみたら拒否られたけれど、でももう、そんなところに近づきつつあるのかなぁと。

元のブログでは、コメントしあう中の人の半分は年収800超系の人だった気がするし、残りの半分は400未満だったりするのかなと思っていたけど、中間にいた自分にしろ、それは若いから維持できたのであって年取るとダメだわ、もう定年だわ、と思いつつある。そもそも学生の頃から予防線張って海外で沈没生活する夢を追っていて、バンコクのジュライとか聞くと未だに胸躍るというダメっぷり。楽宮だって10日ぐらいいたしね。アンナ・カレーニナじゃないけど、金のつきあいであっても、朝ごはんつくってもらう生活は楽しかったし、乞食だって、おなかいっぱいに食わせてもらったときにそのスポンサーに感謝しないでいられるほど感情は、心は、複雑系にできてはいないのだ。

でも、それでも楽しくなかった。プラハのエロいバーの2階で、なにか態勢に関わる細かいことを頼むと「イエス・サー」なんてふざけて言うウクライナ出身の踊り子さんにまで、「ねえ、お願いだから、スマイル♪」と言われる始末。ネクラ。非モテ非コミュ

自分の人間関係は中学で破綻した。再開は文通ではじまって、ネットに引き継いで、残りが就職活動の面接とか。人を騙すまでの意識はないのに、期待させるテクニックみたいなものを意識の中で使っていたような気もする。だから身分が落ち着かないのだろう。

はやく落ち着いた職を探して、身の丈に合った生活を、と思うと、そこに格差社会なんですよね。

もう少し、しばしかたつむりみたいに生きてく。

筆記試験に落ちたら話は早いけど、落ちるかな、どうかな。今さら受けること自体お笑いみたいなもんだけど。