おっぱいとか

そういう意味で、つまりそうして休みすぎていることについて指摘を受けたのかな、とも感じたし、けれども




























小説は前から順番に読まれることを前提とした芸術だろうと思っていたけれどもたとえば、ねじまき鳥クロニクルにはタイトルつきの目次があった。目次の内容は意味が分かりにくいのだが、それはそれで最初に読まれるべきものとして読んだ。小説は本だから、残りページが少なくなってくるとそれが手で分かるのだし、おのずと読むペースはあがるし、そこに書かれる内容はそれに応じてスピードアップしているべきものだろうという気もするし、でも雑誌連載だと、ああ関係ないのか、とも思ったり。


ブログだと、(考え中)を表現しづらく、音声のがいいなと思ったり、いろいろ。





増田じゃないけど、






川田亜子さんの悩みがどういうものか知らないし、考えても無駄だが、



                資格も含めて、簿記とか、自分の立ち位置だと、資格を取るための勉強に意味はないし、では、意味のある勉強ってこれから、なんだろうな





  一つ思うのは、やはり、Amazonじゃだめで、世界中の書籍なんてものはブルーレイディスク一枚に全部入ってしまうのじゃないかと思うし、CD屋を見ていても、ブルーレイディスクにしたらもっと店舗狭くて良くね?と思ったり、



本屋は必要で、本屋に通ってたら、少しいいのかも知れない。とくに古本屋、あれは必要だわ。


漠然としたネットブラウジングと古本屋もしくは本屋徘徊は似ているかなとも思っていたが、ちょっと違う。本屋では発言できないし、記録も残せない。読もうとすると、3行でおkなことも、数時間かけて読まされる、そのことに意味があるというか、視覚と知覚と脳とか、それぞれにも比較優位があって、ある程度の時間をかけてインプットしないと、生産量はあがらない。








 ちょっと書いてることがよく分からない。