有吉弘行

ロンドンハーツの特番に出ていた有吉弘行が随分面白いので、同じ1974年生まれユーラシア横断組としてYoutubeなど見ていた。あとでWikipediaで見て相方のその後の人生も興味深いのだが。一般ウケよりも芸人仲間うちでのウケがすごいというのだが、司会の敦があんな大口開けて笑っているのを見たのも初めてという気がした。どうせまた地獄に戻るんだし、と自虐で語るときに隣のスザンヌが淋しそうに見ている姿がよい。それとチュートリアル徳井に対する一般女性の感想、表情が読みにくいからつきあったらしんどくてもたなそう、というのは、へぇと思ったり。

万札握ってプラハのナイトクラブへ行ったとき、ユースで同室だった日本人は二人で、一人はリーマン、クラブはスーツで行ったほうがウケがいいよといい、もう一人は卒業旅行生で、彼女にはクンニをするけど、そーゆー店では無理だよなぁ、てなことを話していたのが印象に残っているのだが(あたりめえだろ的に、というか、彼女を日本に残し、卒業旅行に一人旅を選んでエロ話に興じる見た目はまじめそうな男の子の図を見ていて面白かったのだが)、ウクライナ生まれのダンサーのおねいちゃんは、ジャグジーつきの広いスイートルームで、ねぇ笑ってよお願いだから、無表情こわいわ、って言ってたのも記憶に残っている。当時の自分はどうも、ミラン・クンデラの文体で描くとこれはどうとか、そんなことを考えていた気がする。円高だし、構図としては下衆の下衆なアジア人だったろうけど、そういう自覚を持つ機会はなかった。つたない英会話で質問責めにされ、こちらが回答ではなく依頼を、これまた小泉英語でやると、指二本をこめかみにつけて、イエス、サー、とやる彼女のユーモアが好きだった。彼女の嘘がdankogaiのいわゆる「陳腐」であったかどうかは本質ではなくて、それが相手を深く観察した本音の感想であったとすれば、それが陳腐かユニークかはぜんぜん関係がないよな、とも。

サリンジャーのほとんど未発表の作品を集めた翻訳で男子というのは街ごとにそれぞれ印象深い女性の記憶を一人残しているものだと書いているが、プラハでは彼女で、じゃあ他の街にいるかって、必ずしもそうでもない気がする。

有吉弘行のライブに来ていた女性客たちは皆彼のブログを経由して集まった人だというけれどもなんだよ男性芸能人のブログ読者って美人ばっかかよ、売れた後売れなくなっていた頃の有吉だぜ!?と思いつつ、そこには彼のわかりやすい人生折れ線グラフがあって、笑えないものは笑えないし笑えるところは笑う、それだけだろう、笑えるところがあるのはいいよなと。ストーリーはわかりやすいし。

有吉は売れるために意識的に批評的な視線で芸人観察をしていたのかどうかは知らないけれども、相手を深く観察した本音の感想であることが大きな要素ではあって、ひるがえって自分が自分以外の人を深く観察したり批評したりすることが今まであったかと振り返ると、ないなー、悲惨、関心が内向き。だから非コミュなんだよと思う。興味がない。ないの裏返しで、今まで記憶に残っている人の属性(年齢とか経歴とか生まれとか裸とか)は比較的記憶している感じがするのに、その声質とか心の動きとか感情を覚えていない)。感情が分からなくて悩んだ記憶はあるのだから、観察が弱いのだろうとも反省する。観察できない原因は緊張やコンプレックスかもしれないけれど、結局、笑えないものは笑えないし笑えるところは笑う、それだけだから、それじゃダメなのだ。