省エネとか

俺みたいな下層向け食堂で年末数量限定のサーロインステーキ定食など出していて950円とか。惹かれるが行かない。ご飯を減らすだけでこれだけ肉が憧れの存在に昇格するのだからすごいと思った。
inspired by http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-581.html

昨日喫茶店でマンキューを読んでいて、それなりに飛ばし読みするのだが、なんで経済学の本を読むんだろう(学生じゃないし)という思いから結局のところ、自分で自分の生きさまを説明したいと思っているのだろうかと考える。

たとえば農業技術の発達は農家の暮らしを豊かにはしない、むしろ貧しくする、という説明のとき、ざっくりと、需要が増えないのに供給が増えるから価格が下がるのだが、じゃあ供給を増やさずに仕事をサボったらよいじゃない、というとき、農家全体で成り立つその理屈を、農家単体がどうこうできない価格の中で、それでもたくさんつくったほうが単体ではマシなのだから、という競争構造から農家を守るために政府が云々・・・というとき、犠牲になるのは消費者と納税者である、と、そこまで。

競争を避けていたらお話にならないので、どう競争を楽しむか、という話と省エネを結び付けたいのだけど、断食明けのお食事が美味しい、禁煙後の喫煙が美味しい、禁オナ1週後のオナはよい、みたいな仕組みでどうにか。もちろん5日働いた後の2日のお休みは美味しいけれども。

茶店を出て歩いていて、つけ麺やさんとかマックとかサーロインステーキとか、ほんとそれ食べたいの?と自問しながら胃に相談しつつ考えると、それほどでも、という回答がある。安部公房がタバコをやめる方法として、ほんとにそれ吸いたいの?と自問することだよ、と書いていたのを思い出しつつやっていた。その逆に自動的に毎朝風呂に入ってスーツ着て家を出続けているとそのモチベーションは説明できなくても内面化する。コミュニケーションを内面化したいので電話をひたすら取り続けるのも一つの手だし、誰彼構わず喋りかけ続けるのが効果的なことは過去そういう働き方をしていた時期があるので分かるのだけど、ちょいと喧嘩を交えるのもいいかなとか。難しいのだけど、仕事をしていて不満やら批評家的感覚でもの言いをしたくなるときに飲み込んでしまうことを内面化していたので、そこを内面化から自問型に分解して、それ批評して意味あんの?じゃあ代案出してお前がやれよになるだけじゃん、に展開する。そうすると、いま批評家的に文句をいって波風立てるよりあとでもっと効果的な案を考えてあとで提案してみよう、という流れになると作業負荷はすでにあるのだからお流れになる。それはディスコミュニケーションだ。だから、ディスコミュニケーションイクナイ→喋ることを目的化する→批評する。用事があって聞くというのはコミュニケーションといっても印象に残らないし意味がない。批評することで自分がさらけ出されるので人に覚えられる。具体的には、コミュニケーション能力の低い若い子に会議の司会をさせていることについて教育の一環ですね、分かります、ではなくて、意味が分からないので時間の無駄だし、今日のお話はそれだけですか?それなら退出しますよ、というのもありで、声が聞こえない女の子に声が聞こえないと言うこととか、ツール導入の調査を他部署に展開しても彼らのモチベーションを管理できないのでこれでは失敗するから俺に工数切れ、とか、その作業はその言語が得意でない自分がやるのはおかしくね、とか、でも、しかし、ちょっと思い出していて吐き気がしてきたけど、なんとなくマインド的には、自分はその辺やれそうなんだけど、たとえばぶつかってもいいから言うべきを言うコツは、バランサーとして、そのあとで当人でも他人でもいいけど、雑談に逃げたりして空気を戻すことなんだよな、と。雑談力。

喧嘩を内面化、というか、めぐちゃんみたいに、かわいいからおk、とは言い切れないところの、というか、非コミュ非モテですね、わかります、ではなくて、どーいう女の子がタイプなんですか?とまっすぐに聞いてくるあのマインド。なんで女の子と付き合わないの?一度の人生なのにもったいなくないですか?ってまっすぐに言ってくるあのマインド。練習として、最初に浮かんだのはカウンセリングなのだけど、カウンセリングとコミュニケーションは違うのだけど、カウンセリングで自己分析・自己整理することに限界を感じているもしくは45分はかからないですよ、というときに、あんたカウンセラーとして他にもいろいろ話してるわけでしょ、どういう観点で仕事してるんですか?これで本当に回復できると思いますか、自分が回復させたという実感もてるんですか、自分の仕事の成果や失敗のフィードバックはどうやって得ているんですか、得ていないんですか、それでやってて楽しいんですか、みたいなイタイ絡み方をしてみるとか、それはウザいのだけど、雑談力の地平から共通の趣味をテコにうわべ自己紹介をする流れで不意に酒の力でお互いの素を知る機会を長い時間を経て醸成していくまどろっこしさではなく、イタイ絡み方をしてまっすぐにぶつかることで、たとえば数回しかあっていないのに印象の強いめぐちゃんと、毎日何時間も一緒にやっていたのにほとんど覚えていないF子の差が説明できるのではないか、みたいな。

ブログでも自分は喧嘩をしない人だけども、どこか responsible でないところがあり、それはそこは触れないでお願い、のなにかを持っていることなのかもしれない。