日記

洗濯物を干すたびに雨が降るというか、ちゃんと予報を見ないと。
メールが来ていた。応じないと。それからやよい軒でとりカツを食べて電車で東京へ。
平日にふつうの病院に行くと年寄りが多いからああと思うけど、平日に心療内科に行くと同世代ばかりなのでああと思う。
どこまでそのままに受け取るかは別として、最近、製造業系とか、詳しくはわからないけど本気でぼろぼろ失職していく生の様子をブログとして淡々と読みながら、しかるに俺は、と思うのだが、でもどうせ賞与で引かれてトントンだよね、とか、そこまでいけるのか、とか。
長いこと、めっきり、ブログに異性からのコメントがたくさんついてレスをしたり、みたいなことがなくなったけど、それは自分が避けてるのか、向かわなくなったのか、年齢の問題なのか、ネットの変化なのか、それどころじゃないのか、よく分からない。
山形浩生の本を再読していて、意思決定の迅速化を目的とする情報化社会のボトルネックとしての「ためらい中枢」みたいなものを考えるとき、それはナンパ師が非モテに向けてするお説教じみている気もするが、そこが人間の能力限界で、と言う前にもう一つ、たとえば自転車で品川まで行って帰ってきて、運動した、と思うとき、こうした自力移動に伴う無駄、生産性の低さが健康維持に必要なもの、ということわけだから、それは選択の結果でもある。
要は勇気がないのではなく、そうしたためらいが人生の生きがいの本体じゃないのかと。そこを越えればべつのためらいが現れて、構造は同じで、もちろん人と比較して楽しいとか悲しいとかを意識する方面では変化があるだろうけど、本質というか、構造というか、心理サイクルそのものは同じで。
今回の旅行には未練がたくさんあって、不完全燃焼の具合もそれなりにあって、でももっと、心理サイクルとか、ためらい中枢とか、そういう話を外国語でできるようになったら違うだろうかまて。日本語でもできてないだろそんな話。
自分の話(書き言葉でなく、喋り言葉)を録音して聞くと、少し唖然とするところがある。言うは行うより易しという前に、思うは言うより易しだ。