やがて哀しきうんちゃらかんちゃら

さんまのテレビ(恋のからさわなんちゃら)を見ていて女の子たちが彼氏のココが嫌という話をするのだが、こうしてどうにでも受け止めて処理していける司会者だから(女の子たちがなにを言おうと、さんまが【1】「茶の間」の空気を読み=その場にいる人だけでなく、というよりもその場にいる人がどう思うかは関係なく、第三者、少なくともこの番組を好きで見ているであろう第三者、プラス、この時間になんとなく民放テレビを見ているであろう第三者、がどう受け取るかを読み取り、【2】それを把握したうえでそれを代弁するなり、ボケるなりして、【3】きちんとなんにせよ笑い飛ばしながら進行できるので、彼女たちが安心して心を解放して言いたいことを言う、のを見ていて、つまり人はそれぞれであって答えなどないという言葉の空虚に響く感じ、そうそうこれだけ視聴率を取ってわいわいやっている、それが答えじゃないかと思う。それぞれというのは、それぞれの制約事項に縛られた対症療法というか、次善の策であって、制約事項がなかったら、なければないほど、本来存在するところの正解というものに近づいていく。そんな認識のもとで、正解を遂行していけないときにこれこれが遂行できない理由であり今から提示するのは次善の策ではあるけれども与えられている制約事項の中では最善であって云々の別紙を添付して遂行すると、それはまた批判のしようもなく国士舘大学や学連選抜に拍手と声援を送る箱根5区の姿じゃなかろうか。
ずっとホッテントリを見ていた。
いったいいつになったらdr*pdbのブクマがつくんだ?と思いながら見ていた。べつについたからどうこうというのではなく、漠然と、はてならしからぬというか、女に生まれてでラッキー!感のあふれているところが、それ、リリー・フランなんちゃらさんの言葉そのままだけど、界隈ではユニークで、そうでありつつネットリテラシーの塊みたいなところが、つまりは恋のからさわなんちゃらの真ん中列あたりに座っていてぜんぜんおkみたいな、結局一番気になるのでリトマス氏になっているという意味だけどそうであれどうであれそういう空気というか気配を消すにはどうしたらよいだろうかと考えてもいた。盆だからか、他の有力エントリがなく、かなり長い間はてなのトップページに晒されていて、今も晒されている、とりわけ写真つきのエントリが他になかったので、俺が撮った荒川の写真がずぅぅぅぅぅっとはてなのトップページに晒されっぱなしであることが、けっこう不思議な気分だった。なにに似ているか考えると、あれだ、岩井証券が上場するというので岩井証券に口座をつくりに行ったのだが上場日というか新株ブックビルディング期間までに口座開設が間に合わず泣きそうになっていたら楽天証券で当選し、それだけでなく上場日の初値で当時のイートレード証券から2単位を追加買いして放置、結果、そのままストップ高になったから良いのだけど、ザラ場が終わるまでのあの緊張の感覚に近い。とくに2時過ぎの振るい落とし工作じゃないかと言われた上げ下げがすごかった。今回そんな上げ下げはダークサイドな自重をされた方がいたぐらいしか気づかなかったけど(というか、なんで消すねん、素が出てるコメントはうれしいに決まってるだろが)、当時は証券業といえば超絶人気業種だったので、当たり前だったんだけど、射幸心にかられたのはそれが最後で、以後銘柄コード末尾5桁目に1のつかない株は、マケスピ無料使用用件の必要があって建てた一度を除き、買っていない。
カウンセリングの結果が2週続いて不調であり、今回の件で、どうも承認欲求がどうの、というのが本当に焦点なのかどうかがよく見えない感じがしないでもない。村上春樹が描いていそうで描いていないけれども、でもカフカが描いているからいいじゃないか、ほかに誰か描いているか、自分は知らない。そのカフカが描いていたあのシーンがきらめきひらめいたのは、れいの彼女が、うっぷす。自重。それを自分に気づかせるための策謀と捉えるのが無理筋なのか、いやその通りなのか、彼女とやりとりしていた頃の自分のブログが消えているので分からん。