視界
右を向いても左を向いても見えるのは地獄
人と会話することが人生の究極的な夢だとしても
その夢から遠ざかるスピードの増加率を抑えることすら想像さえ不可能で
それが日常である人となにを分かり合えるのか不明ながら
さいわいにも宗教的制約がないので
死ねば同じじゃない、という、
それだけが光り輝く希望
35歳。
世の中には35歳よりも年上の人が存在していることは理解している。
頭で理解はできる。
しかしもう手遅れ。
難しく考えてはいない。
みんな必死に庶民のふりをしているだけ。
でも結局、貴族なのだ。
僕は3ヶ月で自転車に乗ることを辞めた。
僕は15年で日常会話をあきらめた。
僕は31年で恋愛をあきらめた。
僕は35年で仕事をあきらめた。
自転車に乗れなくても日常会話はできるのじゃないかと思っていた時期がありました。
日常会話ができなくても恋愛はできるのじゃないかと思っていた時期がありました。
恋愛ができなくても仕事はできるのじゃないかと思っていた時期がありました。
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
人生については、どうあきらめても続くだけ続くし
生意気な「頭」をやりこめて、「体」の言うこと
(自傷であったり不眠であったり震えであったり発汗であったり発疹であったり昏睡であったり)
それに従うのみ、それしかできないけれども
なにがつらいかというと、
もう、あんたたちと一緒に考える共通のテーマがほとんどないということ
あんたたんちの関心事はほとんどすべて、
僕がすでにあきらめたこと。