35歳、SEPG引退、展望なし

20091021t01
事実上の引退はもう何年か前なのだが、それなりにあがいていて、

  • 俺は零細企業からピンで派遣されて仕事してばかりいるからつらいのだ
  • 俺は零細企業からピンで派遣されて仕事してるから将来が不安なのだ
  • 俺は零細企業からピンで派遣されている身だからモテないのだ

といった仮説はほとんど本気で思ったことはないのだけれども確認はしてみようと思い中堅SIerに転職。
たしかに待遇面は多少改善されたのだけれども、仕事状況・将来の不安感はあまり変わらなかった。
自分が下請け側ではなくなると、かえって居づらい気がしたほどだった。
そのほかに二つ。
第一に、自分は職場の変更にめっぽう弱かった。適応力がまったく欠けていた。
第二に、転職にはそれなりにパワーが必要、というのは、転職後のことであって、転職活動そのものは
比較的簡単にできてしまうという事実があり。(いやはや、日本の労働流動性は小さくてどうの、って
話が流通している件については、自分にはよく分からない。)
とはいえ、

  • 俺は二次請けで仕事をしているからつらいのだ
  • 俺は二次請けで仕事をしているから将来が不安なのだ
  • 俺は二次請けで仕事をしている身だからモテないのだ

といった仮説を信じるほど元気はなかったのだけども確認はしてみようと思い大手SIerに転職。
うそうそ。少し違った働き方も視野に入れて活動したのだけれど、待遇面で維持できるのは同業同形態
の仕事だけだった。そして採用してもらえるのも。
で。
大手に来たのでいろいろ言い訳の効かない状況でも鬱になるので、これはダメだな、と思った。
手当てがつこうがつくまいが残業をいとわない自分だけれども、残念ながら、作業などまったくなかった。
作業ではなく、仕事をしなければならなかった。そして仕事を進めるために必要な胆力が欠けていた。
わけのわからない上司に山ほどの仕事を無給で押し付けられたりしていれば気楽だったろう。
でもそうではなかった。自分が他人に仕事を押し込まなければならなかった。そしてその仕事の中身を自
分は仔細に把握できなかった。ヒアリングもできなかった。それでもよくやってくれるのだが、徐々に
その作業を引き上げて、下請けを切っていかなければならない。そうなると、いや、そうならなくとも、
みっちり研修を受けている1年目2年目のまわりの若手がほとんど、それを私のかわりにこなすことが
できた。そのくせ俺より給料が安かった。自分は完全にお荷物であった。
多額の退職金を「支払った」ことはあるけれども「もらった」ことはないので、ああつらいものですね、
と感じるところがあり、大手ならではの休職制度を利用して、一社目の退職金代わりに長期間遊びほう
けていた。この期間に自分がもらっていた金額は、一社目の手取りよりも多かった。保険分をあとで支
払ったのを差し引いても、交通費や住宅手当を含んだ一社目の振込額より多かったかトントンぐらい。
仕事は一社目ほどしていないのだが。
しかしながら30歳を過ぎてからはもう、給与明細など見たいとは思えなくなっていた。
株をやめてからは、預金残高を見ることもなくなった。ただ、だいたい、自分が今のような生活をして
いると、2年ぐらいで底をつく可能性はあるな、と感じはじめた。(引越しして家賃を下げているので、
もう少しマシかもしれないが)
大手なので、鬱で頭が悪くて仕事ができないなりに居座る道はぜんぜんあった。そうしている人もいる
ようだ。けれども、やはりその状態で正気を保てる気がしなかったので、
ゴタゴタのすえ、職務・職位の変更を求めるのではなく(というか、私はそもそも工数を計算する上で
それ以上職位を下げられるほどの身分でもないのだし)、会社を辞めたい、ということを書面でハッキ
リ言うことになり、ほぼ受理されたようだ。
20091021t02
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このブログが会社の人や家族にも見られている可能性はそこそこあるような気がしているのだが、まぁ
引き続き、そんなことはおくびにも出さないでおいてくれとしか。
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あと、本気で食うにも困っているような追い詰められ方をしていたら、辞めてないだろうな、という
変なことも考えたりしている。ここ数年で人が死ぬのを何度も見ているせいかもしれないし、
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それでも週末に自転車に乗って写真を撮る、というライフに着地できればしたかったのかもしれないが、
どうやら自分の求めている被写体は、そういうのじゃないらしい。
風景写真? くそくらえだ!