らぶあんどすくわらー

親類の結婚式に招待されたのだが、おしゃべりの得意な主人公がその席でなにをスピーチしようか、そうだあの件にしよう、べつに花婿を喜ばすためのスピーチをすることはない。むしろ、ケイモウしてやるのだ。
ほいでその件の話だが・・・といって舞台は一気に19xx年のどこそこのなんちゃら作戦に従軍しているシーンへ。そしてゴタゴタがあって、こんにちわこんにちわ、という有名なあれ。
それが記憶するあのお話なのだけれども、すくわらーってなによ、ということをときどき考える。もちろん俺は結婚式に招待されないし、あの話を俺が解釈したのが正しいのか(もっと言うと、アメリカ人に喋ったところでトンチンカンすぎて笑われるレベルか違うか、もしくは日本人ならどうか)というのが分からない。
で、続く、ぐりーんまいあいずは、不倫ファックの最中の主人公のベッドの横の電話が鳴る。声の主はその愛人の夫であり、かつ自身の友人である。妻が帰ってこないんだが・・・という心病み気味の夫。主人公は手マンを続けながら、おぼろげにてきとうな相槌を打つ。ほいじゃね、と電話を切る。さらに立ちバックを続けているともう一度電話が鳴る。「誰からなの?」と愛人=妻。しぶしぶ受話器を取る主人公に、電話の主=NTR夫は、すまんすまん、妻がいま帰ってきたところだ、心配かけてすまん、まったく、しょうがないな、許してくれ、友人だしな。と明るい声。
そのまま、終わる。
ナボコフなんじゃなかろうか。つまりそういう仕組みをしかもそうとさとらせずに書けることが素晴らしいと思ったりなのだが、でもそう書ける書き手や、そう仕組む主人公などに自己投影して喜ぼうとしていた青の時代は終わり、小説はもったいないけど捨てて、モデル撮影会にはまる生活か。