パンツ2枚もらおうかな

ブラマヨ吉田先生、
道重さゆみにわたしのこと好きですよねと聞かれて、「好きと言っていいでしょう」
前田有紀アナに抱かれたい芸人1位と言われて「パンツ2枚もらおうかな」
それから「遊びまくってると言われて否定しない芸人は俺ぐらい」
とか、とか。
もう少し前はもうちょいいまいちな感じだったり。

べつにツッコミの人が横にいるわけでもないしお笑い芸人ではないから素人は無難に微妙な会話は交わし無難に微妙な会話の飛び交う場には近づかないで生きるしかなく、そんなんで生きれる場所はもうぜんぜんそんなにないんだし、勤怠ぐらいよくしておくぐらいが精神には良いやなと改めて思う。その意味では、人並みに頭のまわるような人で無難に明るく生きてなにかが噴出しないような大人の人は好きだしそうしかないのかあーあと。
そうして「君の弱さを探すために」を地でいくようなライフは地獄とはいえ地獄から振るい落とされて地獄ですらない得体のしれないどこかに置いていかれないようにしないといけない。なんとかいう映画みたいに、それでも救いがあるのはそれもまた頭の弱さというか記憶は時間とともに、それも人より早く消えていくからそれがバランスして生きていけるみたいな。
仕事でミスをして自分にとどめて置けずに人に話したくなって何人か親しい人に話したが、べつにそれってそれほどでもないんじゃないの俺はその間違いしないけど、みたいな冴えない会話を切り上げて帰宅の路につくと、どうしようもなくサイテーな種類の性欲がもごもごと出てくるような気がした。ああ俺はサイテーや、金払うからめっちゃ癒してくれや、泣き言聞いてくれや、的ななにか。そんな状態で深夜を過ぎて帰宅する途中下車、その川沿いにはぁゃしぃ光が輝いていて、中に入るまでは愛想のいいおねいさんたちがわぁわぁと管理されていた。あれによってバランスされて生かされていたのだろうか。あれがなくなってから俺は踏ん張れなくなったのだろうか、年でいうと、一致するので、みたいなことをときどき考える。こたえはわからない。お遍路を機にそおいうのをやめてというか、カメラや自転車の物欲方面で金がかかるので財布の紐がどうのこうのというほうが真の原因かもしれないが、そうなってから、と、考えつつ、でもそんな生活もべつに保証されていない身だよなと。
あとさ、まぁいいか。ネットも地獄なんだよな。ツイッターはよくできとる。