企画女優とか

企画女優というと女優さん本人にはとりたてて特筆すべき演技の才能なりなりはないがそれを企画の力でカバーして作品を世に出す、のでギャラは企画の人のほうの割合が高くなり女優さんにはn万円程度、みたいな話だと思うのだがそれならそれで企画自体も企画女優がやれば単体女優に匹敵するのかというと、単体女優の人は量産するだけで制作側ウマーなので企画女優より何倍もすぐれておりギャラがそれを反映している、ってことなんだろうけれども企画もやる企画女優と単体女優なら企画もやる企画女優のほうを尊敬するしすごいんじゃないかと思うとき、昨日付のホッテントリ二つとか俺のホッテントリのこととか考えたりしたがぜんぜん話が違うなと思ったり思わなかったり。
僕は高校も大学も自分が借金せずに私学へ通わせてもらったくらいの家の出だけれども3年生というか4年生ぐらいのときにそれまでの人生をようやく振り返ってみてその中にアハ体験を見出せずコネもなくスーツを着て合同説明会に行って1次面接やら2次面接やら最終面接やらであなたのアハ体験はなんですか?と聞かれてもどうせ応えられないよなと思って不戦敗し、その頃から多かれ少なかれ背伸びしてアウトロー(笑)を気取るクズになったのだけど、なんのことはない、ようするにアハ体験がない、ってことなのだ。
学生の時代までにアハ体験もアヘ体験をしなければ将来もアハ体験はおろかアヘ体験もできないだろうからと推定されて面接ではじかれるのだからはじめから受けない、受けない人生の先にもアハ体験はないしアヘ体験もない。そうするとどうなるのか?と考えたとき、つまり川崎クリニックで包茎手術を受けた帰りの電車内で感じたあの絶望のような、「どんなダメ人間であろうとも、そいつのオヤジは非童貞」みたいな、つまりはロールモデルを家族に見出せないことが暗黙のうちに効いてきているんじゃないかという(俺は親父に人生観があるのかないのか知らないしないんだろうと思ってる(なにしろ民主党に投票しやがるのだ)ぐらいのコドモだが)、そこからアハ体験なんて言い出したやつは所詮脱税者で犯罪者じゃないか、と思うまでには時間がかかった。税務署がトロいからだ。
転機が訪れたのは23歳のときである。みたいな人生にしたかったがそんなことはなく、ただ、日本国内では企画女優だろうが単体女優だろうがモザイクがかかっておりそうでないものは見れない、という時代だったのでそうじゃない国のPLAYBOYを見たいというただそれだけの理由で航空券を取り飛行機に乗り海外(笑)へ降り立つ。そういうのを繰り返すマイブームを3年間過ごす。3年間連続で盆と正月は日本にいなかった。
海外旅というのはまず、成田エクスプレスに乗る工程で強烈なデジャブに襲われる。もちろん2回目からだが。1回目は小田原から夜行列車に乗って神戸へ行くところからはじまるのでそいつは別枠だ。そいつを除いて大抵成田空港から出かけるので、成田エクスプレスで、あれまぁ本当に俺は外国へ行くんだろうか、空港はおろか、その国のどこにも知っている人は一人もいないし当時はまだインターネッツの繋ぎ方もワカランのに、というのが空港の税関を出た途端にもう日常がはじまっている。村上なんとか先生のベストセラー作である「やれやれ、またドイツか」の演出意図にも気づけない俺が、降り立つ。なんて不安な!
それで26歳になりようやく転機が訪れたか、そうではなかった。働き始めたが相変わらず成田エクスプレスに乗り続けた。8度とか9度とかのべ半年近く海外放浪をしていて俺ほど誰ともコミュニケーションを取らなかった(取れなかった)人間は逆に稀少なんじゃなかろうかと思うくらいで、こうしてただとにかくもうあまりにも日常にネタがなさすぎて死にそうだったのでそうしただけみたいな、それが変わるのはたぶん27歳とかそれぐらいで株はじめた頃からなんだろう。
株を終えて貯金が3倍になったのでそこからその儲け分を食いつぶすライフに至り、自転車とカメラと何本かのレンズが残った。
さすがに逆説的な恋愛願望(冷静に考えると俺はゴミ屋敷の住人だし顔出しもできないようなライフを送っているのだからその日常に──最近に至ってはネットライフにさえ──一定距離を超えて誰かに接近し、されるのを少なくとも結果的には巧妙に(笑)避けているのだから、まともに考えると、ふつうの人生──つまり自分の両親がそうであったように、誰かと結婚する、みたいなことは、なにか特別なことがないと無理であるからそのマジックが恋愛とやらにあるんだ、きっと、というタイプの妄想に頼ることはやめるようになった。
しかし転機はやってきた。それは俺が39歳のときのことだった。