日記

ツイートしたところの、メール事件と、飲み会事件を経て、帰宅。
帰宅後はブクマの小泉Jr.の討論を見ていた。
[おれはあたまがわるい]前提で、感想と遷移。
 

Jr.の演説を「まぁまぁうまいのは分かる」みたいな言い方をすることに対する羞恥心を感ずることはできる俺としては、どちらかというと抱かれたいレベルであり、そんなことよりも、そういうのを見て自分もああいうふうにものが言えるようにならないものかと願った昔を思い出したりしたこと。活力の原動力はそういうところにあるよな、ということ。
安いカメラで大勢の撮影会で撮るかたわらポートレートブログを見ていて、やはり・・・ゴルフや自転車同様にオヤジ系というか、キャリアと機材、資金力、時間にモノをいわせる部分を含むとはいえ、それでもなお、それを読んでいると自分も撮りたくなる系のものと、ただ単にだせぇ、いい年こいてJKに媚売んなよ系に分かれた感想というか、少なくとも脊髄反射を持つものに分かれることに気づいたこと。
自転車ブログで、おお、俺もやりたい!と思ったものがあるかというと、ちと違うかもしれない。自分が乗ろうと思ったキッカケははっきりしており、JKONDOとカツマーさんとムラシットさんの一周記事なので、そのように人を大勢感化できるようなものを書けないかなぁと今でも考えるのだが、どうにもそういうところにたどり着かない。
写真も同じなのだが、こちらはさらに壁が高いため、そんな世界は遠すぎると絶望するばかりだ。
もう少し書きたいことがあった気もするが眠いので寝る。
 
といいつつ書くのだが、社会的・経済的に、天寿をまっとうすることを夢見ることも困難になってきた身としては、しかしそれがいつなのか、自ら一歩前へ出て、そのまままっさか様に落っこちて終了する決断をできるのか、それを思うと本当に気が重い。
 

 
なにもしがらみなどないし、自由に書けるテキストボックスのはずなのに、そこには、死にたいと書き続ければ叩かれるというしがらみがあり、生きたいと書いても叩かれるし、撮りたいと書いても乗りたいと書いてもなにもしなくても叩かれるというしがらみがある。
 
今そうであったり、あるいは今後、生きていて楽しいと思うことよりも死にたいと思うことの総量のほうが多いと予想できるならとっとと死ねばいいのに、というのが割とまっとうな客観的意見だとは思う。それでも生きる理由はキュリオシティに求めた。
 
しかし今、キュリオシティは人間へ、しかし人と関わると不眠になり社会的・経済的ピンチが早くやってくる。
 
この先、あと何ヶ月、バランスを取る続けられるのだろう。