旅の記録の方法 前編

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初めての国外旅行に出たとき、自分はDTだったし、当時の自分の観測する世の中の決まりの中では、国外に出ることなしにきちんとしたPLAYBOY誌を合法的に読む方法はなく、きちんとしたPLAYBOY誌を合法的に読む以外には、ウーマン(すばらしい神様が創造されたこの世で一番すばらしいあちら側の生き物)の2本の足のあいだの付け根にあるものの姿かたちを知る方法がなかった。のちにK子園で華麗なプレーを見せつけて「Dリーグで活躍」することになるクラスメイトとその仲間たちが、クンニリングスをすべきか否かを熱く語り合う夏の日の男子校の昼休みの教室で、俺は机にうつ伏せたまま、旅行会社に電話をかけて、まずなんと言えばいいのだろうか、いつだったら家族の人に詮索されずに電話機を使うことが出来るだろうか、パスポートはどうやって取るのだろうか、それを忘れたら飛行場でどうなってしまうのだろうか、などと、いろいろ考えていた。
まだ今よりもやわらかく、後の改変可能性をいくらかは残していたかもしれない俺の脳味噌に、最初の旅の記憶が刻まれた。PLAYBOY誌とPENTHOUSE誌。右側通行の高速道路の立体交差、小雨の降る南の島の風に揺れる木々と果実、水泳のみ得意だった俺は、習慣的惰性でゴム製の黄色いSPEEDOキャップをつけて沖へ向かってバタフライを泳いでいた。孤独と朝食。新婚夫婦のけだるいトーク。こぼれ落ちんばかりにレタスの詰め込まれたビッグマック。帰国便のDeparting Time。迫り来る税関。カバンの底のPLAYBOY誌とPENTHOUSE誌、そのどちらだったかに添えられたポエム。「世の男性方は、わたしのこの豊満な胸にばかり注意を向けていて、こちらの小さな小さなスリットに関心を持ってくれないのが淋しいわ」
 
 
 

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すべての記憶は断片化し、後で文章で、日記として、再編集することは困難だった。小学生の頃からワードプロセッサで日記をつけていた自分にとっての最初の空白が、この旅の期間となった。その間もノートに書き付けていた、皮膚力の弱い自分の、極度に貧弱な筆圧で綴られた単語の羅列から、それらが書かれた理由や気分や背景を、再び読み取ることは不可能だった。
だから2回目の旅からはカメラを持参した。
旅の記憶の断片を、きちんと日本語日記として時系列に並べて再編成するための、言葉にはできない正確な記録の装置として、フィルムカメラ、もしくは、32mm f10.0 1/140sec の「写るんです」を持参した。税関のX線荷物検査機で感光しないように特殊ケースの中に大量のFUJI FILMを入れて。
それから月日が経ち、カメラはデジタルへ。ケイタイからコンパクト、高倍率から高級タイプ、ミラーレスからデジタル一眼レフへと変わり、撮影枚数もどんどん増えるようになったのだけど、それで記憶の精度(リアリティ)は上がったのだろうか────旅の実体そのものは、俺の人生と同じで退屈かつイベントレス、疲労するだけで夢も展望もなく、旅の支度をしている段階で既に鬱病の発作を催すレベルであり、それがそのまま非モテの生涯そのものであるような惰性の産物ながら、それでも、記録の精度(リアリティ)を高め、より自由度高く日本語日記を再編集することで、あたかもそれが【充】実した時間であったかのように、すでにピークを大分前に越えて、あとは落ちぶれていくだけの永遠の下り坂、そのピークにあってさえなにをも見渡すことのできない低い山であった俺の人生の、残りの下り坂の地獄────今までに味わった地獄よりもさらにキツいことが確定している地獄の日々のつかの間に、ときどき思い出して少しは気分が軽くなるような、エアコンもないしネットも使えない独房での5分10分に、少しでもニヤニヤできるような、そんな思い出を捏造することができるだろうか。
 
 
 
 
 
 

DAY 1.直江津柏崎刈羽 (自転車)

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惰性の旅であるからスタート地点は以前の、4つのサイクリングロードをつないで日本海へ - Blue-Periodさんの日記 の終点、新潟県上越市のJR直江津駅を起点とすることにした。横浜の自宅から東京駅まで自転車で走って輪行し、そこから上越新幹線の越後湯沢経由で直江津へ・・・と思い切符を買おうとすると、先日の豪雨と土砂崩れの影響で、特急はくたか号の発車駅が越後湯沢から長岡へと変更になっているのだと知る。お祭り真っ最中で、大花火大会の初日であった長岡を通るのならば、一緒に花火も見ていけばいいじゃない、という気がしたが、そこはなんというか、予約もなしにちんちんぶらぶらと気ままな旅を気取りつつも先々の時刻表や宿泊計画までみっちり立ててあるのが非正規社畜の悲しさ。日程を延ばすことはできないから、泣く泣く新幹線ホームからお祭りわっしょいの空気を眺めて特急はくたか号へと乗り換えた。もう一つの誤算は、直江津から日本海岸を北上して、海岸ギリギリを走るJRの「日本一海に近い駅」なんぞを見ようと思っていたのに、そこを先に電車に乗って南下する、いわば「ネタバレルート」になってしまっていた、ということなんだが。
 
 
 
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写真は旅の記録の手段であると同時に、旅を────そう、準備をしているだけで面倒くさいしせっかくの休みがつぶれてしまって、大変もったいない時間と金の浪費である旅を────実行に移す機会を与えてくれることがある。今となってはアマゾンの中古で(これを書いている時点で)5000円を超えているところの『自転車人』2010年秋号に掲載された1枚の写真が、今回の旅のきっかけだった。
 
 
 
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自転車好きのイケメンモデル氏(って世界中回る人だけどプロだしな・・[やましたあきかずさん])が、秋田から青森の日本海岸をゆく。その雄大な風景やら、途中駅で食う大衆食堂のおいしそうなラーメンやらはまぁいいんだ。どうせプロの強行軍でプロがEOSで撮ったプロのモデル写真だから。ほいで、途中で輪行に切り替えるのが、鉄ヲタ人気も高いJR五能線驫木[とどろき]駅。(五能線とチャリについては、この辺が詳しい)海が間近の無人駅だ。これを見て、ああそうか、そういえば日本一海に近い駅はどこなんだろうか、ここなんじゃなかろうか、と調べてみると、江ノ島に近い鎌倉高校前駅は車道を一本挟んでいるし、実際のところは北海道南端と青森とをつなぐ青函トンネル内にある「吉岡海底駅」がトップだそうな。それから横浜は金沢八景を走るシーサイドラインの終点、金沢八景駅と、JR鶴見線東芝社員専用、海芝浦駅、あとはちと今回行くのは無理めの愛媛県灘駅が次ぐような話なのだが、そういうのを除くと、新潟県信越本線青海川駅が「日本一海に近い駅」を自称しており、先の「自転車人」で見た驫木[とどろき]駅なんぞはちっとも挙がって来ないのだった。それはそれとして、この写真のどこに惹かれたかというと、驫木[とどろき]駅から輪行を開始したイケメンモデル氏を広角で撮ったところにたまたま写りこんだと思われる20番の隣の美少女写真。4時間に1本しかやってこないようなクソ田舎のローカル鉄道にでっかいリボンをつけたミニスカの佐々木希が秋田から乗ってくるわけか。。。。。。。そういうシチュエーションの発生を、自らの旅にも期待していたのである。
 
 
 
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さて、「日本一海に近い駅」青海川駅も車窓からチラリと見てはしまったものの、当初の予定よりも2時間遅れて直江津駅に到着すると、以前の旅で自転車を畳んだのと1mと違わない全く同じ位置で自転車を組み立てた。この2年間のあいだ、直江津の時間はあたかも止まったままであったかのように、途中で一度平坦になり、また傾斜へ戻るエスカレーターと、その注意喚起を促す女性の声のアナウンステープが流れっぱなしであることも全く変わっていなかった。しかしあの頃と比較すると、フレームこそ同じエンゾ早川カラーのBlue Ant☆resだが、スプロケットは上り坂が楽な軽いギア比のものに変えたし、ホイールも上級グレード、タイヤやケーブルアウター、ハンドルテープはすべて白にしたからだいぶ外見は変わった。後輪を以前の通勤ライド時のパンク修理でだいぶ汚してしまったので、実はこれで乗る気が失せやすくなっている気はする。早めに交換したい。高級(笑)ホイールは、旅行時には使用しないことが多かったのだけど、もう交換作業も面倒だし、いいやと。
 
 
  
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今回久しぶりにSONYのナビ子こと、NV-U3C の電源を入れると、「現在位置」が茨城県のJR土浦駅になっていた。霞ヶ浦を走って以来の使用ということになる。今となっては、土浦在住女子の母乳から1キログラムあたり、8ベクレルのセシウム137が検出されたというから、個人的にはなかなか進んでサイクリングに行きたいとは思いにくい場所となってしまったが。
GPSが正しく新潟県上越市の現在位置を把握するのを待って、コンビニで朝食おにぎりを食べてから走り出す。自転車で走ること自体が久しぶりだったので、しばし気持ちよく風を切って、根拠不明の優越感と全能感を味わいながら、この速さなら言える!この速さなら言える!と思いつつ、なにを言いたいのかが分からないまま、もくもくと進む。地図上の海岸線を走るのではあるが、このあたり、海の見える位置ではなく、少し内陸側の国道から一本海寄りの、住宅がポツポツと並ぶ細い小道を進んだ。ときどき郵便配達の自転車と、佐川急便のドライバー、そして杖をついて歩く老婆などとすれ違った。
 
 
 
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旅の撮影機材だが、旅用として持っているはずの1200万画素マイクロフォーサーズは、現在自分が望遠レンズを所持していないことと、やはり夜の高感度撮影に弱いところがネックとなり、最後まで迷った末、デジタル一眼レフのほうを持つことにした。自転車成分よりもカメラ成分多めの旅にするつもりで、600万画素のNIKON D40に、常用レンズとして、解像度が低すぎて画素ピッチの広いD40D700以外の機種で使った場合の評判が著しく悪いTAMRON SP AF 10-24mm F/3.5-4.5 Di II LD Aspherical [IF] と、最新の高性能格安望遠レンズ TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD。それから、夜用としてSIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM。この30mmは結局あまり使わなかったけど、計3本。本当は単焦点は85mmを持ちたかったのだが重いし高いし壊したら大変なので断念。そして画角のほうは、毛の生えたシロウトらしく、17-55mmあたりの標準的な画角の範囲外(広角にしろ望遠にしろ)で撮りたい、という意識があった。
 
 
 
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新潟から柏崎方面へ向かう道中のいくつかの「海に近い駅」にまず立ち寄った。かなり海に近いものもあったし、砂避けの仕切りで海が見えなくなっているところもあった。進むにつれ、駅や集落は山に分断された盆地のようなところにぽつりぽつりと孤立するようになり、一方の自動車道は高所を橋とトンネルでつないでまっすぐに進む。そんな橋の路肩に自転車を止めて、30分も40分も大型トラックの風に煽られながら、電車の来るのを待って写真を撮ったりもした。これは自転車メインでなく、写真メインの旅なのだ、そのためにゆるゆるの時間割を組んであるのだ、と言い聞かせ気味に。
 
 
 
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そうしてほどなく青海川駅へ。Google検索ご推奨の「日本一海に近い駅」だ。ナビ子の音声案内に従って、長い鉄橋の前を右折、ぐるぐると山肌の急坂道を降下して盆地の小さな集落へ出る。バイパスの赤い鉄橋をはるか上に見上げつつくぐり、海岸のほうへ数百メートル進んだところにある。コンビニも商店もない無人の駅だが、一台置かれていた電話ボックスの随分綺麗なことが印象的だった。かろうじて近くで稼動中の自販機で買ったアクエリアス────震災後の電力不足で営業を停止している自販機もこれまで多かった────を飲み干し、そして海側のホームへ。
 
 
 
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確かに、海は近い。ホームのあちら側はすぐトンネルで、反対にホームの向こう側もすぐトンネルだ。複線化されており、自分が乗ってきた臨時ルートの「はくたか」をはじめ、列車の通過は比較的多い。しばらく待っていると、ローカルな各駅停車もトンネルから顔を出し、停車し、誰も乗り降りせず、また反対側のトンネルへと消えていった。
少し違うのだよな、と俺は思う。山と海に囲まれた駅ホーム一つ分の幅しかない盆地に無理やりにつくられた人工感、と言えばいいのだろうか、それを英語のアートと訳したら正しいのか分からんが、そのようなもの、そして見通しの悪さが、どうにも萌えない。もっとこう、見渡す限りのクソ田舎、田んぼの向こうに白い無地のヘルメット、もしくは麦藁帽子をかぶったJCの佐々木希が、熱さで上気した頬、汗で湿った髪を後ろに、自転車をとめて踏切遮断機の上がるのを待っているような、それでいて反対側には見渡す限りの海、海水浴場として開発されてはいないが、いつまでも投げ捨てられたゴミが山積していることもなく、気が向けばそのまま飛び込んで泳げるような、沖までバタフライで進めるような、そういういかにも夏だな、という感じの画像ください、という気分だった。
 
 
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電車が数本通過するのを写真に収めた後で、またぐるぐると盆地の坂道を上ってバイパスへ復帰し、たまに見通しの良い岬で休憩を入れながら、レーパンの中で豆粒のように小さくなった粗チンチンのポジションを直しつつ、今日の宿泊予定地、柏崎駅を目指した。ここでの宿は予約しておらず、久しぶりの70km超えライド(横浜〜東京間を含む)で尻も痛くなり始めていたので、駅へ着くと、宿という宿にアイホンから電話をかけまくったのだが(楽天トラベルを使えばもっと効率的にできたのだろうが俺は疲れていた)、どこもリズナブルなシングル部屋は満杯。なんで?なぜこれだけあるホテルのシングルだけが皆満室なんだ?と愕然とする。今回、宿の取れない場合に備えて折り畳み式の銀マットと、四国お遍路さんのときに使った超小型の簡易テントは持参していたので、海辺まで走ってみる夕暮れ。公園を挟んだ先の砂浜では家族連れが花火の準備をしていた────その背景、はるか向こうに、ピカリ、ピカリ、と赤くライトの明滅する鉄塔が数本、なんだあの不気味な建物は────そうか、あれがいわゆる、柏崎刈羽原子力発電所か・・・と思った。
合法的にテントの張れそうな静かな場所はないかな、という思いと、もう少し間近で見れねえかな、柏崎刈羽原発、という思いで、また北東へ向けて走り出す。だが冷静に地図を見たらば、まだ10km以上は先にあるわけで、しかし疲れて思考能力も落ちているから、ともかく進んでも進んでも光る鉄塔群は遠く、ついに日が落ちて真っ暗になった。
最大180ルーメンを誇る防水フラッシュライト、フェニックス LD20 2灯で前方を照らし、市販のCATEYEの最高級品レベルが子供騙しにしか見えないほどに死ぬほど明るい防水後照灯、Blackburn MARS 4.0で後方を明滅させながら発電所のほうへずいずい進む。ナビ子の地図でそろそろというあたりで前方が高い木々・・・というか、深い森で仕切られていることに気づく。この森に沿って発電所を囲むように伸びる県道は緩やかな上り坂となり、速度はどんどん落ち始めるのだが暗いので体感はしにくい。いずれ原発を越えてしまえばまた元の海岸道路に戻るのだろうと思いつつ、この敷地がGoogle Mapでぼんやり見た感覚・縮尺とはぜんぜん違っておそろしく広い。すなわち長い。やがて施設側つまり左側だけでなく右側も森になった。いや、ただの木々かもしれないが暗くて見えない。足にも少しずつ疲労がたまる。延々とゆるやかに登る。この道はどこまで続くんだ?
 
 
 
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と、突然、左方の森が途切れ、道路が橋になった。橋を直角にくぐる道の向こうに灯りが見える。ナビ子で確認すると、そこは柏崎刈羽原子力発電所敷地のちょうど中央点、わき道から降りて橋をくぐったところが原発のゲートになっているようだ。まるで高速道路の出入り口のように赤と青の指示ランプ。出入りする車は多い。警備の人間も多い。日が暮れてから全く写真を撮っていなかったが、ここなら光量があるだろうということで、橋の手すりにカメラを乗せてスローシャッターでカシャリ。2枚、3枚、4枚、なぜか気が引けてくる。怪しいオッサンが夜中にバズーカーを向けていると勘違いされて射殺されないだろうか。カシャリ、5枚目を撮って、また走り出した。
 
 
   ★
 
 
中間点を越えると、森に囲まれた舗装路であることに変わりはないが、ゆるい下り坂となる。途中に刈羽駅方面へ向かう信号付交差点がある他はずっと一本道だった。交差点を曲がろうか迷って自転車にまたがったままアイホン地図を触っていると、すれ違ったバイクのお兄さんが引き返してきて、
「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。「僕も自転車やってましたから、パンクとかなら・・・」
「いえ、ありがとうございます。でも大丈夫です」
手持ちの替えチューブは2本、工具もポンプも持っていたし、ライトもアイホン除いて計4本あるし、だいいちパンクしていない。ただ、宿が欲しかった。駅に出たらあるだろうか、とアイホン地図を触っていたのだが、そのような雰囲気にも思われず、結局そのまま直進することにする。
 
 
 
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気がつくと、森の道を抜け、民家の集まる地域を抜けて、やがてまた海岸道路に出た。そしてほどなく、バス停の建物を見つけた。ひと気もないし、最終バスはとうに出ている。明朝最初のバスの発着時刻も7時台のようだ。
テントは張れるか? 張るには少し狭い。風通しを考えるとむしろ邪魔だろう。ベンチになっているところに銀マットを敷いて、少し休ませてもらおう。自転車を壁に立てかけ、ハンドルに虫除けのムシコナーズをぶら提げ、全身に虫除けスプレーを吹きかける。そしてリュックを枕に、横になる。つらくはない。しかしすぐ横の茂みの虫の声がうるさい。あちらこちらに蜘蛛の巣が張っている。車は数分から数十分に一台通る程度。道路からバス停の内側は見えない。
さぁ、少し眠ろう。双子の佐々木希姉妹にサンドイッチプレイされる夢でも見ながら。。。夜明けとともに再開だ。
 
 
 


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   2011年8月2日(横浜→東京/直江津柏崎刈羽) 走行距離 92.80km 走行時間 5時間00分37秒
   平均時速 18.5km/h 最高時速 44.7km/h
 
 
 
 
 
 

DAY 2.柏崎刈羽新潟市内 (自転車)

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寝付くのに時間がかかった。眠れた時間はどれくらいだろう。双子の佐々木希のかわりに現れた巨大な天罰としての大津波ロードバイクごと沖に流される夢を見る暇もなく、テントなしでの初めての野宿が終わる。日が昇り、視界をさえぎる夜闇が引くと、コンクリートのバス停野宿はいかにも無防備で、遊ぶ金が欲しかっただけのオートバイクの高校生集団に襲われてもおかしくなかったように思われた。
 
 
 
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道路を渡って砂浜に下り、元来た南側を振り返って望遠レンズで覗くと、そこには柏崎刈羽原子力発電所。陸からは森で完全にガードされていた(ように見えた)ストロンチウム工場は、今も俺の部屋のエアコンを動かすために稼動している。そしてそれは海側から見ると、至極無造作に、むき出しに放置されているようにも見えた。2011年8月現在、東京電力管内で稼動し続ける唯一の原発ではあるが、この旅日記が投稿されるころには7号機も停止するだろうし、その後まもなく5号機も6号機も停止して、ただの引き篭もりのニートと化すであろう。
 
 
 
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午前5時過ぎには出発。当初予定では柏崎駅スタートで(できるならば原発見学を入れて)新潟市まで走る詰め込み日程。しかし前夜に寝所を探すうちに刈羽村を越えてしまったので、施設見学を諦めれば約15kmのアドバンテージ。しかも寝心地悪さもあって早い起動だ。のんびり海岸線を行こう。
 
 
 
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しかし昨日に距離を稼いだ分、今日の身体のコンディションは悪く、バス停で虫に数ヶ所刺されていたのと、昨日は都内走行や輪行もあってレーパンの上に短パンを履いたカジュアルスタイルでいたためか、尻の痛みが今日になってもひかない。この日からは全裸の上にレーパンとサイクルジャージのローディスタイルに変えたが、サドルに尻を乗せて漕ぐのがすぐにつらくなり始めた。
 
 
 
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旅の記録の手段としての写真。それが【充】実していたことを装うための一眼。ゆるい走行スケジュール。構図を考える意識づけのための超広角。しかし新潟市内への道で、意識は全て尻に集中していた。ゆるい上りとゆるい下りが続く。足は問題ない。しかしケツがひたすら痛い。俺は間違っていた。高級(笑)ロードレーサーのサドルがどうしてこんなに硬いのだろうか。価格相応に、ふっかふかの高級ソファベッドのように柔らかい素材でつくられているべきではないのか。そもそも平均時速20km未満でトロトロ走る俺が23cの細い硬いタイヤを使う意味がどこにあるのか。上り坂を立ち漕ぎで、下り坂は尻を浮かせて、ひたすら進む。東から昇る太陽の直射が山を越えて俺をまともに照らすような時刻になる前に距離を稼ぎたいという思いとケツの痛みの葛藤に揺れる非モテの旅人。時折あらわれる海水浴場の海の家の座敷で飯でも食いながら、ひと休みの写真でも撮れば良かったのかもしれない。東に昇る太陽、照らされて順光、綺麗な青色に染まる西の空と海のシームレス。露出を空に合わせて、暗く写る座敷。それだけで絵になるだろうという心の余裕を与えてくれないケツの痛み。進むに連れて昇る太陽が容赦なく照らす俺の未来はホームレス。熱中症を避けるためにヘルメットの内側にかぶったベージュのフェイスタオルも、首に巻いた青のフェイスタオルもすでにただの濡れ雑巾と化している。ああ、もっと写真を、写真を撮らなければ・・・
 
 
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その後の記憶は断片化し、後で文章で、日記として、再編集することは困難だった。旅の記憶の断片を、きちんと日本語日記として時系列に並べて再編成するための、言葉にはできない正確な記録の装置としてのデジタル一眼レフD40のシャッターを切る気力が最初に尽きてしまった。
俺は新潟駅のビジネスホテルを予約し、途中にコンビニを見つけるたびに1時間近くずつ休憩し、平坦な道を漕ぐこともできないケツの痛みに耐えながら、ときにはコンビニで買ったスポンジをケツの下に敷いたりしながら、どうにか新潟駅に着いたはずだ。もうしばらく乗れそうにない。有人の地下駐輪場に自転車を預け、ホテルのチェックインを済ませて一風呂浴びてから近くの新潟空港にバスで向かう。新潟空港の滑走路の東側には、すぐ真下から飛行機の離陸を撮ることのできるお宝スポットがあると、古いネット記事で読んでいたからだ(※今もあるかどうか知りません)。しかしこれには条件があった。風が西から東に吹いている日であること。この日は東の風であった。しかも羽田などとは違って、発着便数はおそろしく少ない。小さな新潟空港の中を軽く見学して、諦めて、またバスで駅前へ戻る。疲れている。松屋でビビン丼を食べた。すぐに胃がもたれた。ホテルへ戻る。また風呂に入る。
 
 
 
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二日目の夜が終わる。俺の6連休のうちの1/3がすでに失われた。明日は自転車に乗らない。これは当初の計画通りではあるが、あさってにケツの痛みが引くのかどうかが不安だった。本を開くのだが、まったく読めない。読書なんてものは、自らの老いと脳の退化を再確認する自傷行為以外のなにものでもないよな、と思う。
 
 
 

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   2011年8月3日(柏崎刈羽→新潟) 走行距離 74.96km 走行時間 4時間40分43秒
   平均時速 16.0km/h 最高時速 56.0km/h
 
 
 
 
 
 

DAY 3.新潟〜秋田 (電車)

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新潟市内の滞在時間は長め。少し早い夏休みの平日、東京のようにスーツ姿のサラリーマンの大群がいないため、また俺の地元のように外国人だらけの土地ではないため、聞こえる言葉も日本語ばかり。俺の目には、この街には美しい女性しかいないのだろうか、と錯覚するレベルであった。
 
 
 
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昼過ぎの特急いなほ、にて、山形県を通過し、佐々木希加藤夏希の故郷、秋田へと向かう。これで4時間かかるのだが。
 
 
 
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夕刻、JR秋田駅へ到着。この日は秋田竿燈まつりの2日目だったか。近代化された綺麗な駅周辺いたるところに提灯の束が飾られていた。
ロッテリアで遅めの昼飯。店員さんの秋田訛りがかわいらしい。店内には浴衣を着た秋田の女子高生が喫煙席を含めて満席(喫煙しているわけではない)に近く、皆、これからはじまる祭りの前の時間つぶしに、彼氏と何ヶ月続いているとかいないとか、浮気は許せるとか許せないとか、それはありえるとかありえないとか、アイツきもいとか超きもいとか、そんな会話に花を咲かせていた。
 
 
 
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ここでのさらなる誤算だが、あらかじめ予約していたホテルに自転車を預ける際にカメラをコンクリートの地面に落としてしまう。安価なカメラボディは無事だったが、そこそこ高いTamron10-24mmの、レンズキャップがフィルターにめりこんでフィルターを粉砕(77mm径のプロテクトフィルターは中古の一眼レフD40本体ほど、とは言わないが、それなりに高い)。 そしてレンズ本体は無事ながらフィルター枠が曲がって、破片をどけてもはずすことができなくなってしまった。。。。まぁ、それでも撮影自体はできるので、いいか。。。新潟駅前にはビッグカメラも淀橋カメラもあったのだが、秋田駅徒歩圏内に大きなカメラ量販店はない。小さなカメラ屋の秋田美人な店員さんに破片をスプレーで飛ばしてもらい、布できゅっきゅっとレンズを「おいやめろ」とは言えずに拭いてもらった。しかしそこまでだ。
 
 
 
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ホテルの前には蓮の池があった。つぼみはおおかた閉じていたが、観光客なりなんなり、皆写真を撮っていたし、俺も何度かシャッターを押してくれと頼まれた。フィルターの破片を除去したばかりの広角ズームでまずは撮ってみる。大丈夫そうだ。
 
 
 
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そして今のところ出番の少ない望遠レンズでも撮ってみる。
 
 
 
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ストロボを使って背景を黒にしてみたり。
 
 
 
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駅から少しに西のほう、「竿灯通り」では祭りが開始。大人の男が大きな竿灯を、子供の男が小さな竿灯を、手で持つなり、額に乗せるなり、ときどきよろめいて観客席に倒すなりしており、そのたびに歓声があがる。大人の女子は太鼓を叩いたり、笛を吹いたり。奥へ進むほど、ものすごい人だかりで、有料席なり、ロープで仕切られた内側に入るなりしない限り、警備員に追いたてられるために立ち止まることができない。夜用の大口径30mmではやはり距離が離れすぎているようで、望遠レンズを出すことにした。
 
 
 
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場所取りならば、フレッシュ!モデル撮影会、で慣れているわけで、少しの隙間でも見つけ次第、ロープの内側に入ってマニュアル警備員の追撃をかわす。
 
 
 
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ドンドコドンドコ・ズンドコズンドコ。竿灯祭りフォトコンテストなんてのもあるようだが、なかなか難しい。
CANON EOS5DMarkIIに三脚をつけたプロカメラマンもちらほら。年寄りのアマチュアカメラマンはたいていニコンだ。が、圧倒的に多いのは、ガラケー写真を撮る人々か。
 
 
 
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155mmF5のISO1600で、明かりの入るところを狙って、表情を止めて手の動きは残すss1/80秒。あとで考えたら外付けストロボを蓮撮りだけじゃなく、ここでも使えば良かったのにと反省はするものの、フラッシュなしでもこれぐらいは撮れる。
 
 
 
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明かりのないところはさすがに厳しく、ISO3200 + 内臓ストロボ調光オートで、MAXシャッタースピード1/250のこれぐらいがやっと。86mmF4.2。
向いの観客まで光を届ける必要はなかったので、もうちょい低感度でもよかったかも。まだまだ経験値が足りない。
 
 
 
そんなこんなで、秋田の夜も更けて、俺のアイホンの表示限界になる写真枚数となったので、後編へと続く。。。