旅の記録の方法 後編

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新潟駅を出るときに袋に詰めたロードバイクを、そのまま秋田駅経由にて、青森県の深浦駅まで運んだ。軽量なロードバイクを担いで歩くのがつらくないのはそうだとしても、それでもやはり袋詰め作業で手が汚れたり、ホイールのセッティング位置の具合で持ちにくくなったり、ワイヤーが伸びてしまったり、まだまだ「らくらく輪行」の域に俺は達していない。折り畳み自転車のブロンプトンのパンク対処が簡単だったら買い替えたいのに、と思う。あるいはBD-1の折り畳み作業がもう少しシンプルなら良いのに、ダホンの畳み後サイズがもうちょいコンパクトで自立してくれればいいのに、と悩む。あるいはロードでも、ホイールを簡単にカシャリとはめ込む位置が決まっていて、リムを傷める心配が無用な仕組みになればいいのにと思う。
 
 
 
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秋田発、リゾートしらかみ号は、東能代駅で方向転換して、敢えて西海岸の絶景ルートをぐるりと遠回り、青森まで走る全席指定の特急列車だ。本当ならば観光おじさんおばさんの乗る特急列車よりも、東能代からはローカル五能線を使って地元の佐々木希に出会いたいところなのだが、なにしろ本数が少なく乗り継ぎの都合と自転車をかつぐ身であることを考慮しての選択。その絶景エリアの途中で降りて、そこから自転車で走るプランだ。前編の記事で書いた雑誌「自転車人」の記事では、東能代駅から自転車で走り出して、驫木(とどろき)駅から輪行して五所川原へ。そのあと津軽地方を走ったりして弘前まで、という感じなのだが、自分は驫木の手前の深浦で降りて、そこから適当に写真を撮りつつ走り、疲れたら輪行して、どこに泊まるかはあとで考えよう、という感じ。七里長浜を抜けて龍飛岬へ行くのはまず無理だろうが。
 
 
 
 
 
 

DAY 4.深浦〜???(自転車)

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深浦で自転車を組み終えたのは昼過ぎだったろうか。そこから少し進むとすぐに行合崎の岬があり、この辺に来る人はだいたい皆訪れて、素敵な場所だとブログに書いている。季節がもう少し早ければ、花も綺麗だったのだろうが、自転車脳の俺、真夏の真昼にこういう日光を遮るもののない場所に長時間滞在することが不可能であるから、いちおう岬の突端の岩場まで行って、もう死にたいか? それとも生きるか? 80年間非モテで生きるだけの人生は楽しいか? それとももう死ぬか? 生きていても会社と家の往復を続けるだけだ、なんて夢物語、そんな行くべき会社すら奪われてしまう日が時々刻々と迫ってくる人生だぜ? 誰からも愛されず、誰からも気にかけられず、誰からもブクマされない人生、それでも生きるのか? 死ぬのか? いろいろ自分に問うてみて、うむ、よく分からないが、もう少し生きて進むことにしよう、というわけで引き返してきて、また自転車にまたがる。(このエリアは自転車で入ることができないので、歩いてきたわけだが)
 
 
 
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しかし計画の段階で行合崎を明るいうちに通過するのか、夕暮れに着いてあわよくば夜をすごすのか、迷いどころでもあった。夕刻に着き、夜をここで過ごせば、あるいは違うことを考えたかもしれない。違うことをしたかもしれない。しかし、岬の突端はともかくとして、ここには有料のキャンプ場があって一泊1500円を取ることになっているという時点で魅力は消滅、とっとと退散するほかはない。本当に一人きりになりたければ、北極にでも行くしかないのだ。
いくつかの、「今電車が来たら良い写真になるだろうな」という構図を見つけたが、アイホンでチェックするに、次の電車まで1時間・・・というスケジュールなので、それも断念。というか、こんなところまでソフトバンクの電波が届いているとは。。。
 
 
 
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ところで尻の痛みは引いていた。1日の休憩で引いたのは幸いだ。本日のルートは、深浦から驫木(とどろき)へ向かう箇所に上り坂があるほかは、ゆるふわの平坦ルート。海と線路を見ながら、ただもくもくと漕ぐだけだ。「驫木」の由来は馬3頭で引かないと進めない坂道、てことらしいし。つらいのはそこだけ。
 
 
 
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そうして丘を越え、下り坂を一気に下った先に驫木駅があった。
 
 
 
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雑誌「自転車人」で見た写真はこれなのだが、
 
 
 
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画角は違えど、同じ場所である。すばらしい。
驫木無人駅校内で、実はかなり長時間の休憩をした。電車の来るのを待っていた。貼られている時刻表を見る限り、停車するローカル線は夕方までないのだが、しかし行合崎で確認したアイホン情報(この駅ではソフトバンク電波は圏外だった)によれば、特急の通過はまもなく見られるはずだ。まず青森方面から来て、深浦駅の複線で行き違えた反対列車が能代方面からも来る。山をぐるりとカーブして走るシーンを撮るチャンスが2回ある。電車の来るのを待つ間、(そこには虫しかいなかったので)仕方なく虫の写真を撮っていたのだけども、しかし実際にはそんなものは撮りたくなかった。ただひたすら電車を待っていた。
しかし電車は来なかった。なぜなのか知らない。待ちきれなくなって、また走り出すことにした。走りながら、今日もあまり良い写真が撮れそうにないな、と思った。今回の旅の計画、目的地は驫木駅で終了、あとはどうやって家に帰るのか、それだけだ。虫の写真なんか撮っていないで、とっとと横浜の自宅へ帰る。そしてシグマの85mmF1.4を装着して、グラビアアイドル撮影会に行きたい。背景をボカして瞳にピントを合わせて撮る。それが一番だ。俺はもう長い間、本当に撮りたいものを撮っていない。どうでもいいものばかり撮っている。早く、早く帰って、グラビアの・・・
 
 
 
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景勝地千畳敷駅を通過、特急が止まる鯵ヶ沢駅も通過。どうも感覚がおかしい。柏崎刈羽原発の側道は予想の10倍長かった。五能線の深浦→鯵ヶ沢は予想の半分の距離もない感じ。今回はサイクリングガイドブックに沿った旅をしていないから、きちんと距離を計算できていなかったのかもしれない。あるいは、もっといろいろの場所で、凝った写真を撮れると思っていたのかもしれない。それで時間を費やすだろうと。まだ外は明るいし、津軽方面まで行けるような気もしたし、そうでなくとも五所川原まで進むことは簡単そうだ。リゾートしらかみ号の車内で見たパンフレットには、五所川原ねぷた祭りの写真が掲載されていた。祭りは秋田の竿灯祭りを見れば充分と思っていたが、このペースだと、祭りがはじまる前に五所川原に到着できそうである。鯵ヶ沢から内陸の五所川原方面へ向かう真っ直ぐな平野の道を淡々と走る。途中で一台だけ、「こんちわ〜」というローディに抜かれた。
 
 
 
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途中のすき家で大好物のチーズハンバーグ(並)を食べてから、五所川原へ。町が近づくと、路上の屋台が出はじめて、道路にはシートを敷いて座っている人などがちらほら、なんだろう、俺は自転車レースのゴール地点へ向かう選手のような気分にはならないが、そういう風景のように錯覚することは可能かもしれないと思った。駅横にはねぷた?のアレ? 五所川原駅前から横浜行きの京急高速バスなども出ているようで、へぇ、これでもう帰りたいわ、とか思いつつ、駅裏の駐輪スペースに駐輪。でも実際のところ、これで今回の自転車ライドは終了だよな、と思った。
 
 
 

   EveryTrailで見る
   2011年8月5日(深浦→五所川原) 走行距離 63.05km 走行時間 3時間12分08秒
   平均時速 19.7km/h 最高時速 41.8km/h
 
 
 
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「笛と太鼓と 立ちねぷた〜♪」 
8月5日、というのは、五所川原ねぷた祭りの2日目。Wikipediaによると、初日ならば当地出身、吉IKUZO先生がかつがれて生ライブ状態らしいのだが、今日はテープで歌声が流されている。
 
 
 
 
 
 

一日前の五所川原の模様を、どなたかが撮影してアップしているもの。
べつに自分で見なくても見られるという、そういう時代なんだよな。。。
べつに自分で旅しなくても、誰かのブログで旅を見られるなら、それでいいよな、と俺も思うのだが、ちっとも非モテじゃない旅人が多いために自分が全く感情移入できないために仕方なく自分で書いている。。。
 
 
 
 
 
 
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「街を見下ろし 歴史が通る〜♪」
津軽平野は 五所川原〜♪」
 
 
 
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「ヤッテマレ ヤッテマレ〜♪」
 
 
 
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「ヤッテマレ ヤッテマレ ヤッテマレ〜♪」
マッシュアップされていない吉IKUZOを聴くのは久しぶりだ。 
 
 
 
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祭りの続く五所川原では宿が取れず、となりの弘前のホテルを確保した。弘前まで走っても良かったが、せっかくだからローカルの電車にも乗ろうと、皆が帰路に着く前に五能線に自転車を担ぎこむ。
 
 
 

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駅で自転車を畳んでいると、青木さやかみたいな婦人警官さんに話しかけられた。
東京生まれ横浜育ちの俺=37歳のオッサンが五所川原に一人でいるというのは不審な行動以外のなにものでもないわけで、ロードバイクを折りたたむふりをしながら爆弾でも身体に巻いていると思われたのだろうか。少なくも体裁上はふつうの雑談。時間がかかっているのでパンクの修理でもしているのかと思った、という。
 
 
 
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しばし揺られて弘前駅へ着くと────俺は全然知らなかったのだが、こちらでもねぷた祭りは開催中。。。しかもこちらのほうが人は多いか?
青森で「ねぶた」祭りというのを、五所川原弘前では「ねぷた」祭りというらしい。また五所川原や青森で人形の灯籠がメインなのに対して、弘前では扇型のものが主体だとか。
 
 
 
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自転車を担いでホテルまで進むことのできない人ごみ。自転車をかついだままで望遠レンズを出して、フラッシュ焚くのも忘れて、カシャリカシャリ。
 
 
 
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この小さい灯篭は、ときどき進行を止めてぐるぐる回したりするのだが、自転車が重くて外付けストロボを取り出す気力もなく、ブレブレ写真を連発してしまう失態。セーラー服やらAKBやら、いろんなコスチュームの女子高生みたいなのが次々に行進していた。
 
 
 
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はじまりだけ見た五所川原と、終わりかけの弘前ねぷた祭り。売れ残った焼きそばとフランクフルトをありえないほど美しい浴衣の女子高生が声を枯らして半額セールしていたのでそれを購入し、人が減り始めてからホテルへチェックイン。いや、自転車は結局ホテルまで運ぶことができず、駅に近い東横インの警備員さんに頼み込んで袋入りのまま置かせてもらった。(俺の予約できたホテルは駅から少し離れていた。)
俺の旅はこれで終了だ。あとは帰るだけ。とっとと寝ようか。
最終日に無理してでも津軽へ向かわなかったこと、絶景のどこかでテント泊をしなかったこと、それは雨の予報も出ていたからなのだがそんな言い訳誰に向かって? グダグダの締まらない旅。イベントレスで俺の人生のように下り坂。それを誰も読まないであろうクソブログに書くのにも飽き飽きだ!
 
 
 

 
 
 
 
 
 

DAY 5.弘前新青森〜仙台〜東京〜桜木町(電車)

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チェックアウト時刻近くまでTVを見ていた。自分の泊まった安ホテルは岩手あたりのアナログ放送をまだ受信しているようだった。
外に出ると、昨晩の祭りが嘘のようにひとの少ない弘前駅前、8月6日の土曜日。
駅前の東横インの裏手にまわると、輪行袋に入れた自転車は無事だった。五所川原で袋詰めして、弘前東横インまで運んできたロードレーサー(笑)、こいつを横浜はじまったな市の中区まで持ち帰らねばならぬ。今回の旅のスタート時点では茨城県土浦駅を指していたSONYのナビ、NV-U3Cは、これから次の旅をはじめる日まで、青森県五所川原駅裏駐輪場を指していることだろう。次にGPS電波を受信する日はいつになることやら。
 
 
 
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2010年冬に新青森まで開通した東北新幹線「はやて」は、新青森を出ると東岸に近い八戸へ。さらに盛岡から仙台を通って福島を通過し、関東へ向かう。仙台駅近くの車窓からは、今も屋根の崩壊した家々、ブルーシートをかぶせた住居がたくさん見えた。ここで降りて、海のほうへ数キロ走ればすぐに、津波の被害の生々しい仙台市若林区荒浜地区だったりするのだよな、と思いつつ。仙台を過ぎてからは、一部区間を減速運転していたのかもしれない・・・が、俺は深い眠りについていて気がつかなかった。ときおり、隣席のオジサンのイヤーホンから漏れ聞こえるAKB48の歌声がうるさいな、と思っただけで。
 
 
 
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東京駅で京浜東北線に乗り換える。
 
 
 
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そして桜木町へ。
 
 
 
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