きのうの手記〜飲み会の前夜のメモ

4日間かけて100gずつ減らした体重は5日目に元に戻った。
Blue-Periodさんゴルフはやりますか?など、他のゴルフをやる人との食事の場に連れ出されて言われるなど、ああして人と誰かをつなげようとしているのだろうか、天性的に、とか思う。ただ、もちろん一人でできることしかやらないわけだから、一人でできることしか選択肢がないわけだから、そういうのは・・と思う。すいている電車でJKが隣に座ってくれたときの社会的に認められた感は異常、というスレがあるけれども、様々な社会的に認められた感が異常な事象はすべて俺から遠ざけられており、無の心境? 見たくないものは見ないことにする、というのと引き換えに生きていられる感が唯一の「正しい選択だった」感という経験に学ぶ愚者の俺は、それでも心の底の地下水を流れるストロンチウム汚染水から発射されるなにかにどんどんやられていく感じ、ゆるやかな自殺としての生きてる感の恐怖を生きる。
絶望。恐怖。並べてもなにも思い出せない。キーになる人が異動になったときの俺の身分は?という恐怖。その裏づけは彼が俺よりもずっと年上だということ。年上の庇護を受け、年下の面倒を見ない。社会不適応。年下の面倒を見ないで、年上がいなくなったら政治の庇護を受けようという絶望。誰も育てていない。誰をも率いていない。誰にもよい影響を与えない。無価値。無能。無趣味。無。なにもないのなら死か? いや凝縮された絶望と恐怖だけが5000シーベルトパーアワー。
価値のことはべつによくて、ただ価値のないことからくる絶望。絶望ゆえに他人に対する関心が薄れてゆく過程。絶望に生きない人が人と話して化学変化の起こる可能性に賭け、また多かれ少なかれそれを起こしてゆくさま。それを他の人にも適用して広げてゆこうという社会。と、不適応。飲み会。飲み会がこわい。絶望にあり自分が嫌いで、自分が嫌いでない人を嫌いで、見たくないものを見ない処世術が唯一の成功体験であるという積み重ね。俺はBlue-Periodではなく、見たいくないものを見ないという処世術で行動した。という経験の集合体であり、骨とかぜいにくとか水のほかに、そういう経験の集合体が身体のうん十パーセントをしめていく。成功体験の積み重ねとか失敗経験に学ぶ力とか、そういうことではなく、なんともいえない。絶望としか言いようもない塊。死亡の塊。
同じところで長くブログを書いていくと、誰に嫌われているかがすごく分かってくる気がする。それは錯覚という成分も多いだろう。嫌われていないというほうが誤解という部分も少なからずあるかもしれない。しかし、いや嫌われているは背伸びしすぎだ。誰の心にまったく触れないか、誰に軽蔑されたか、誰に見下されたか、誰にカテゴライズされたか、そういうの。それを受け入れるしかないのだけど、またそれはリアルをもいちおう生きているから敷衍して分かるんだけど、分かるんだけど、低スペックの衰えた脳で考えても絶望しか言葉がなかったり。