金曜

はぁ。そうはいっても自分は命にかかわる持病もなく健康であって風邪も引いていない。怪我は多いが大病もしてない。今のとこも一回踊って?とクリック一つで踊りなおしてくれる少女時代。今週は避け得ない飲みがあって酒は美味かったのだけども頭の線が3本くらいぷちぷちと切れてしまった。自由からの逃走。自由と不自由。不自由とはなにか。トイレに逃げ込みツイートしながら頭の治るのを待っていたが結局1時間くらいいたろうか。
自分が鬱になった職場でもその種の飲み会圧迫を1度経験したことがあるのだが、べつに真面目に反論を書こうという気はない。そういうのはアメトーーークで見たし、誰も悪くはないか、もしくは俺が悪いか、どちらかであって。
ただし引きずる。づるづると引きずる。ある種のTV芸人が誰かにNGを出すとか、誰かと一緒にじゃないと面白くならないとか、居ること自体無理だとか、そういう人間関係制約を俺たちは多かれ少なかれ受けていて、その制約の多い俺みたいなのはなにしろ人生が不自由で困るな、と思った。べつに俺だけでなく、そこに「友達」とかいう概念もあったりするのだろうけど、俺はこの人がいて、この人が他の人と仲良くすることで俺を置き去りにしないという誓約書でももらわないと飲み会には出られないし、そんな制約下の飲み会に出たいとそもそも俺も思わないという地獄というか、席を変えてみようか、変えたい、と思いつつ、そうしてBlue-Periodさんを置き去りにしたらかわいそうみたいな空気読みとの闘いの地獄とか。本当にこの世は生き地獄だと思う。拘束衣を着せられてシュノーケルで息をしているような、そういう場所が飲み会である。そうでない飲み会など人生で1度も存在しなかった。息苦しくない飲み会がこの世にあればいいのに。酒は好きかもしれないのに、松屋以外の食べ物の味を認識できるかもしれないのに。
 
言い方を変えると、俺は生きるには頭が悪すぎて、どうにか、脳内革命できる本はないだろうか。頭が良くなれば、もっと人生を生きられるのに。仕事を続けられるかもしれないのに。生きることを許される閾値が、どこかの国の洪水のように少しずつ水位をあげていく。俺はもうすぐ、年間3万人のうちは平気でも、年間6万人という時代になれば、その中の一人かもしれない。