Panasonic DMC-G2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6

DMC-G2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6
金曜新橋。久々に対面&七回忌について云々。年収について聞きたがる人なので素直に話すなど。で、それすらいつまでキープできるやら。あとはホームレス&ダイ。いわば原発ジプシー的に日立あたりの担当さんに夏まで具体的な刺身とタンポポを割り当てられてあるためやりくりはしやすいのだが、長期で休んでなにかをするための皮膚がないというのは困り者で。何人かの動きが怪しいため、もう少しこう、タバコ吸わない人とも交流していかないとというか、とくに刺身絡みで自分の手が遅くなっていることに滅入る。手がすべることがあるから臆病にもなった。(仮に間違って刺身を消してしまったりとかは、実害こそほどほどにしても、精神的にやばい) 昔、ワタミの次ぐらいに悪名高いところで働いていたころ、中大法の某氏が、いやもう年とると年収と肩書きと過去の自分の学歴以外のことは全く考えなくなりますね、と言っていたが、そういう心穏やかな人間に俺はなりたい。
 
 
 
DMC-G2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6
健康診断を受けて結果が悪化した。修復を試みているのだが、進捗よくない。それも皮膚が邪魔するし。比喩とは(ry)で書いたみたいに、それがブログなのだとすると、ジンバブエに行ってヒッチハイクするぐらいの行動力がなかった自己責任て話に。
オダジマンさんの「フクシマ」のほうは長すぎて読めない。「スマホ」のほうは面白く読んだ。要は「諦観こそが、多分敵なんだと思うよ。」がないんでしょ、という観点で立場を変えてみると、目黒区の主婦から見た埼玉、埼玉から見える風景、目黒区に絶望する埼玉は相対的な自虐としてエッセイ的には(文がよく書けていれば)ありだが、目黒区の立場を想像したら、そりゃ埼玉こわい、という話になる。というのと、そこにシステムとか金が絡む。また色つきのお金と、色なしのお金、てのもある。
最近の社長はゴォォォォォルに向けて全力失走にしか見えないにしても、かつての(いくぶんウブな感じの)絆のお助け的な思想の透明感のようなものは、本来心穏やかの根源たるお金(色つき/色なし)とか過去の自分の学歴みたいなものを揶揄している場合ではないほどの透明感をもって迫る。
ジャイアンツの誰それと友達だ、という埼玉がおっぱいをはべらせて飲んでいた場に呼ばれて以来、久しぶりに、飯を食ったのもまた胃にもたれ。