東京へ

20120909t01
道中、帰りに都内で写真でも撮ろうかと思っていつつ結局そうしなかった。会話のないことは想像できたのだがかといってすぐに離れるのも不自然という格好で、なにかとっかかりでもないかとぐるぐる考えるさまはまるでなにかに喩えればいいのだろうけれどなにに喩えたら俺がメンタル的に耐えられるだろうか。それでそれはそういうものだから、[非コミュ]なのだから、なるままに電車に揺られていた。ネクタイひとつ気にしようかという思いにかけるコストもダルかった。けれどもそれも差のひとつかもしれないし。いくつかの要因を求めること、たとえば人に分かる文章でこれを書いたときに親切にこういうことでないかと言ってもらえることがあるとしたら、それは違いますということになりそうなのだが、それは俺がまっさきに俺の常識から導ける要因の解除された身のときでも同じ事態は起こるからだ。日常会話ができないという病は、それはそれで俺に特有の個性的な事象だともなにかクスリをパクパクしなければいけないものだとも思わないとてもガイシュツなことなのだろうが、ガイシュツであり、へたしたらそこそこマジョリティを形成しかねないほどのものだとしても、それが俺の絶望を減じるわけでもなく、そこに鉛筆で線を引こうとする自意識がある。俺は[非コミュ]だが、まだ[人生をかけている]わけでも[改まるまで入れるヨ]でも[いいおじいさん]でもない。俺は[非コミュ]だが有吉先生のツイッターに絡んで通報されるようなこともしないし、云々。
対策もないし視野狭窄になるほど他に気の散る遊びの思いつかないわけでもないからダイエットとデジタルゴミ屋敷で年末へ向かう。去年は皮膚関連で、今年はなんとなくで、泳がずじまいで夏が終わってしまった。カメラが濡れぬように手加減された水しぶきにオートフォーカスが向かわぬように気をつけているだけで時はどんどんと過ぎていった。