2時まで

20121001t14
俺は本を読んだことがない、という言い方はあたかも衒いのある感じで言葉として好きではないが、ぜんぜん最近は読めない、と言うとき、ほいじゃあ昔は読んだかというと覚えていないし所有したりページを繰っていたことは間違いないがやはりほとんど読んでいないような、そんな感じがする。
自分ははてなブックマークをするときに記事の一部を鍵括弧でくくって「引用」とすることが多いのだが、そういう意味での読書というか、短いフレーズを抜き出すのが好きでそのネタとしてかつては本を使い、WEBが広がってはてなブックマークを知ってからはそちらに移行した、という感じかもしれないような気もする。日記は日記でBlogの前から書いていたし。
ともあれ頭は悪いし本は読まないし体力もなければ非モテなので当然、知識も経験値もなんにもないので、コミュニケーションというか関係性という観点からWEBを眺めると俺は孤立しており、ぜんぜん文化的でない、無意味、無価値、無産、無念というほかないのだが、それでもブクマが続いており、少なくともトゥイッターというツールを使い続けているということは、狭いなりの、あたまがわるいなりの、無意味、無価値、無産なりの、かすかな意見と言うか、思い、心の動きが俺の中にあるのだろう。
情報としての価値がなく、ユーモアのセンスがない、つまり役に立つことも面白いこともない頭の中から言葉をちぎってはを回転寿司の皿の上に乗せていく。皿がぐるぐる回る。誰かがそれを取って食うんだろうか。情報としての価値がなく、ユーモアのセンスがない、つまり役に立つことも面白いこともない言葉にもう一つの観点として、関係性、というか興味というか、誰かの言葉のつながり、生き様に関心というほどでないにせよ、それを見聞きし続けていることに慣れている、という部分があり、そういうものの集積なんだろうなと思うからそこに限界があり、フォロワー数がぜんぜん伸びないんだろうなと。
甘いものを食わないと滅入ってしまうし、食うと太るし、痩せるには食わないことだが、食わないでいると甘いものを食わないと滅入ってしまう感じになるし、そのループで体重が増減するタイプのクズである俺はそうでない人を単に尊敬しているし、まぁ別階級の人ですなぁ、と突き放して下から目線で思うところもある。というかその通りなんだろう。
だからそのブクマは惰性である。惰性の中に独自性を帯びさせるもの、バックボーンとか、そういうのは引用でも言葉でもいいが、多少易しいという気がする。写真に比べて。写真はバックボーンとかよりも行動時間なり行動世界の制約がつきまとい、というか行動そのものの結果である側面が強くてバックボーンとの関わりが薄く、それはつりあいが悪いので補正しようと思うとより多くの時間と行動力(甘いチョコチップ入りクッキーを食わないでいられるだけのHPヒットポイント)が必要だ。
HPは減るもんだ。毎晩宿屋で寝ても最大HPより大きくならない。最大HPを増やすのにHPが必要だ。レベルは上がらない。悪循環をしていないか?というギモンが俺につきまとう。
人に言えないような恥ずかしいつまらない安い仕事をしている。恥ずかしいつまらない安い仕事に思い切り拘束されている。24からそのつまらない安いみっともない仕事時間を引き、マイスリーを引き、残った時間のうちでも最初のほう、つまり恥ずかしいつまらない安い仕事で毎日受ける精神的なダメージ、傷つき、おれはあたまがわるいのを知っているのにまたあたまがわるいと言われたのではないかというメールの文面、から受けるダメージ、を回復する宿屋、でモサモサしている時間、回復までにかかる時間も引くと、もう残るのは数分? 俺はまだ消えきらぬ今日一日の鬱屈という名の泥を払って少しずつ、ものを考えようとしている。なにか書こうとしている。と、2時になってしまうわけだ。時間が足りない。
それも含めて後付けの屁理屈であるから改善の余地がないように俺には見える。
ノーベル賞とまで言われると、それを取った人が同国人であるかどうかがどのように俺の医療費や仕事の継続に関わるのかよく分かってないが、もしもすばらしい脳薬が発明されかつ実用化され特許が切れて俺が使えるようになり、すなわち「お前にコミュニケーション能力をやろう」と言われたとしても、今のHPと経験値ではどうにも使いようがないのではないかという気がした。そのクスリを飲み、コミュニケーション能力が上がったとき俺はそれを試すためにファッションヘルスに行くのだろうか。そこで55分とか70分とかを愉快に過ごすのだろうか。それ以外にどう使うんだろうか。
やがてニコンが買収され、新発売のフルサイズ一眼、3億8500万画素のD900000のペンタ部には「SOFTBANK」という文字が刻まれている、という夢を見た。