自転車、アベノミクス、断絶、テレビ、カメラ、深夜、ブログ

月末で退職する俺より一まわり近く若い奥さんがなんとか軒のせんべいを一つ持って俺のところにも挨拶に来て、4分ぐらい、普通なら辞めるのはもったいなくないかだの、子供は元気かだの、共通の知人の消息だの、あーだの、こーだの、つまりは、二人目ができるからとか、家庭の雑事云々で「まわりに迷惑かけるから」的な日本女子っぽさで辞めるのは惜しいだろ、俺なんか朝ちゃんとした時間に会社来るの月に2・3日しかねーのに立場なさ杉、みたいな会話に展開するのが俺の、せいぜいとはいえ、できることだったように思えるのだが、A型的というか、すぐに自転車の話に切り替えてきやがって、わたしも"しまなみ街道"を走ったことがあって、ママチャリなんですが、みたいなことを言うから結局俺も応じて自転車のことをべらべら喋ってしまい、辞めるのはどっちだっけ、誰の話してるんだ、という最後のトークでお別れになった。俺は学校の用事・会社の用事以外で人と会うことなんて、後述の特別ケースを除いたら年に1回あるかないかの「非コミュ」人であるから、これでもう二度と話すことはないわなぁ、とは思いつつ、そんなことよりも、つまりなんで俺はああいう場面でもずっと自転車の、つまり俺の話ばっかしてるんだ恥ずかしい、辞める彼女にどうではなく、まわりにいる他人への体裁がさらに悪くなるわいな、と反省しきりで電車に揺られながらアイフォーンで相変わらず無意味なブクマを続けていた。はすかいの女子高生に「自分の話ばっかするウザい奴ですげーキモい」と言われ続けているような気がしたのだが気のせいではなくリアルなのだ。
結論というか、つまり俺は誰かと話すとき相手を話題の焦点に据えて会話することができるほど賢くないので、俺の話題で相手に気を遣っていただいて話すしか方法がなく、だからなんで俺みたいな退屈なクズにスポットをあてて会話せなあかんねんアホか、ぐらいの、普通にあってしかるべき感覚を持つ人からはまぁ、簡単に嫌われるタイプ(「嫌われる」という言い方は良く言い過ぎで、実際のところ「リムーブされる」ぐらいのほうが正しいだろうが、つまりそういうタイプ)の人間であることを気に病むことはあっても反省しないし改善もできない。繰り返し繰り返し猿みたいに悩むことができるだけだ。ことばが違うから分からないだけで実際猿のが賢いかもしれんし。
それでそれと相似形みたいなもんだけど、俺は人間交流がなく会話のとっかかりもないような人間だからそれが人間交流のなさを加速させる病人であって、誰も積極的に口を聞きたいような相手であるはずもないからこそ、自転車で何百キロ走った、みたいな話をテーマに振って数分喋らせておけば挨拶の体裁にもなる、というようなところがあるだろうし、俺自身、もう自転車好きの人、ということにはウンザリはするのだけどそれはそれでそういうキャラを立てたことは俺のロードバイク投資の成果だなぁと思うのは、つまり実際のところ自転車に乗るのなんて年に2、3回あればいいほうなのに「自転車の人」であり続けられる(上の事情はあるとはいえ)のは便利だな、ということだ。同じ意味でカメラバカでもあるのだけど、こちらは本当に同士でないと会話が成り立たないのと比較すると大変便利だ。軽井沢まで走った、とか、青森、とか、箱根、200km、みたいなことに相当する、「すごーい」と「感想」を言うことのできるような成果が少なくとも俺のカメラにはないし今後もないから、これはもう、本当に便利なことだと思う。あと、それでも自転車、という乗り物の普及度、そしてママチャリとロードバイクの違いの小ささは、ケータイやコンパクトカメラと、一眼カメラとのあいだにある深くて黒いキャズムとは比べようもない。正確には、俺にとってのロードバイクの位置づけ、とか、俺のいわゆる一眼カメラ趣味、の帯びるゆるさや病気さ、という意味において、ではあるのだが。
だから昨今にわかに仕事がクソ忙しくなって座席がありえぬほど狭くなりアベノミックアニマルみたいな雰囲気になってくれたことは職場での俺の居心地を多少は良くさせてはいるものの、いざ帰宅ゲットして身体のあちらこちらにつないでいた気分の錘りを取り外すと、ああやっとここからが俺の人生の時間だ、インターネットをしようテレビを見ようと思い、ついつい夜更かしをしてまた朝起きれなくなる。帰宅後の俺の孤独の人生を謳歌感」のありがたさに幻惑されて、またそこからはずれて、あのわけの分からない錘りをくっつけて息もできないような「職場」へ戻るのが本当に嫌でござる、である。
R0012029
しかし「ブログは死んだ」。ブログを読んでも俺は面白くないし録画したテレビ朝日の番組を次から次へとチェックしてゆく。月曜にマツコ、火曜にロンハ、水曜に新党、木曜に小藪、金曜にタモリ、土曜にひこにゃん、日曜にガキ、ガキ以外全部テレ朝じゃねえか。そうしてインターネットでKai & Alamby、TOKYO HOT!、睡眠、繰り返し、繰り返し。小さい頃に幼稚園とか学校というものに時間を費やしていたこと、それは国なり自治体なり親なりが出し手とはいえ消費ではあり、消費することで時間を生きる。働き出した途端に稼ぐ側メインにする、というのがどうなのかよく分からない。他の要素で目が狂っているのが20-35あたりなのかなとか思ったり思わなかったり。年始のバタバタに懲りてセレスタミンは使っている。1日1錠使っている。1錠で破綻はしないが快調とも言い切れない。ページビューを稼ぎ、たくさんクリックされたら俺が健康になれる、というのならいいのだが、そういうものはない。俺の医療費の0.5%にも届かないだろう。
この1〜2年、なにかに情熱を注ぐということもなく、平穏非モテに生きていてブログに書くことなどなにもないし、まぁ、暇つぶしに、マイスリー飲んで、アサヒカメラでも読みながら、寝ぬ。