2013年の年度越え、さくらの日々

5D2 + Tamron 28-75mm F2.8
満開になる直前の週末に俺は「仮眠も取れない」などと労働条件の問題で裁判沙汰になったとの報道もある大好きなブラック企業の経営する宿の喫煙シングルを英語が公用語である会社のウェブサイト経由で予約して、満面の笑みとそつのない愛想トークを添えて渡されたルームキーを所定のライトボックスにセットすると、ベッドに飛びかかり、仰向けに転がり、アイホン4(黒)ではてなブックマークのチェックをしていた。もう少し若い頃ならばすぐにおねいちゃんをコール、だったろうに、今はもうそういう感じじゃないし、写生よりも写経。仕事は迷走中、それはウチの課の範疇ではない、ウチはそこを参照する権限がない、ウチはそことコンタクトを取る許可がない、それはあっちの責任だ、これはそっちのミスだ、そいつは産休中だ、ブリッジSEが帰国中だ、あっちは忙しい、こっちは連絡を受けてない、あいつの英語は分からん、体制図はどれが正だ、パスワードがない、etcetc 別にややこしくない。それぞれ、少しずつ能力が足りない人とあり余っている人が絡んでいるのが問題なのだし、そんなことをそれ以上考えたくもない。それよりももっと気の散る何かはないか。人生をかけているニュースはないのか。そこにつけて★のもらえるコメントは思いつかないのか。。。なにでもいい。日中に歩いた足の痛みが取れるまでの、つなぎだ。痛みが取れたら深夜のスナップ散策に出よう。
 
 
 
5D2 + Tamron 28-75mm F2.8
どこかの写真雑誌では、この橋の歩道でスローシンクロ、長い髪を横に振り乱した半裸の、室町時代から続く歌手になりたいのか芝居をしたいのか司会者になりたいのかクイズ番組で面白回答をしたいのかがハッキリしていないのかもしれないアイドルの卵の人のポートレートが掲載されていた。その表情からは、歌手になりたいのか芝居をしたいのか司会者になりたいのかクイズ番組で面白回答をしたいのかがハッキリしていないのかもしれない不安と恍惚とが完全に取り除かれ、未婚の大手正社員であってあり余った金の使い道がないからカメラに私財をどんどん注ぎ込んでいる小太りのおじさんか、既婚の地方公務員であってあり余った金の使い道がないからカメラに私財をどんどん注ぎ込んでいる埼玉のおっさんか、年金ニコ爺の相手ばかりをしているせいで微妙に高ぶったように見えるプライドなのか、それとも別のなんなのか、その捏造された(と俺は書いた)自信と新しいニコンGレンズの性能の高さを示すシャープネスと、顔にかかった髪の毛を消すためのアドビ補正でかすかに崩れた階調がみっちりと写し出されていた。モデルにはブレを抑えるために手すりに寄りかかってもらいましょうだとか、車のライトが横にたなびくように、中間を取って1秒から2秒のシャッタースピードが良いでしょうだとか、問題はそんなことではない。そうではなく、その卵のモデルをここ永代橋に呼ぶにはどうしたらいいのか、そしてその白いアンブレラとディフューザーとモノブロックストロボと巨大扇風機を支えてくれるべきアシスタントは誰なのか、それだけの機材を運んでいる車はどこに駐車しているのか、毎月の駐車場代はいくらなのか、税金は、そういうことが問題だろう。車のタイヤがパンクしたら自転車のように自分でチューブを交換できるのだろうか? JAFってどこで売っているのだろうか?
 
 
 
5D2 + Tamron 28-75mm F2.8
かつてカメラの型番でグーグル検索をすると、俺とは異なり、既婚の地方公務員であってあり余った金の使い道がないからカメラに私財をどんどん注ぎ込んでいるリッチな横浜ネオヒルズ族(最寄駅は「山手」駅)の豪勢なランチ、豪勢なディナー、そして豪勢なブレックファストとディズニーランドの写真が引っかかったものだ。日当たりの悪い俺のボロアパートでは決して撮ることのできないまばゆい朝の光を斜めに浴びたブレックファスト(カリカリベーコン)の食材のうちのひとつでも俺はそれの売っている店に足を踏み入れるための服がないだろう。吉野家の「ハム納豆」定食には、あんなまばゆい朝の光を斜めに当てることはできない。せめて「7番のお客様お代済みです!」の先払いの手際の良さにプチVIP気分を楽しむのがせいぜい、そんなまばゆい朝の光を斜めに浴びることのできる高層マンション群を見つめながら、俺はDigitalRevのKai先生に「Rubbish. Boring. Go to the Internet.」と一蹴されそうな絵葉書にもならない写真を長時間露光で撮っていた。三脚はない、レンズはサードパーティ製、橋の手すりにカメラを支え置きながら。最近のEVILさを増したグーグルは、俺にそんな異世界の画像検索結果を提示しなくなった。カリカリベーコンは出てこなくなった。カスタマイズされたのだ。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
東京15区。田中美絵子(37)を落選させたみんなの東京15区。A Beautiful Picture Child. 彼女が街頭に立った夜にだけ、その誰も聞いていない風味を誇張した広角写真を載せたピンク色のオフィシャルブログが更新されるのを非正規社員の小太りな俺はEVILなグーグルリーダーでチェックして性的な目で見ていた。影をつくらぬように全面に照らされたソフトライト、髪の上にリングをつくるフィルライト、その華奢で小さな握り拳にこめた高齢者雇用充実の棒読み訴えをする1年下のほぼ同級生。カメラマンは誰なんだ? 与謝野か? 与謝野馨なのか? どうしたら国会内で彼女に「止めに来た」と言ってもらえるのだろうか。なぜ彼女は俺を止めなかったのだろうか。なぜ彼女は東京15区に飛ばされてなお活動を変えないのだろうか。俺はなにを彼女に止めて欲しいのだろうか。そんなことを性的な目で見ていた。そして少し憤り、写経した。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
深夜の写真はイージーだ。人が少ないからイージーだ。ただし機材の値が張る。高感度に強く、口径比の大きいレンズを使えばいい。それだけだ。イージーなアングル、まだ逃げながら撮っているな、と俺は思った。まっすぐに目を据えて少し感度を下げて撮りたい人の写真を撮ることが出来るのは、誰かの撮ったポスターのお下がりの写真だけだ。アンブレラもストロボもなくバッチリと影が消してある、そのポスターをその上から撮るときだけだ。「Rubbish.」
 
 
 
5D2 + Tamron 28-75mm F2.8 5D2 + Sigma 85mm F1.4
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
翌日の朝俺は会社をサボって散策を続けた。ビギナーの俺は、写真を撮りながらこれは、なにを撮っているのだろうか、と思う。たぶん、そこに写っているものを撮っているのではなく、レンズを、カメラのほうを撮っているのだな、と思う。被写体が重要なのではなく、アウトフォーカス部のBOKEHが大事。これは、いずれいつの日か、白いアンブレラとディフューザーとモノブロックストロボと巨大扇風機を支えてくれるべきアシスタントと一緒に室町時代から続く歌手になりたいのか芝居をしたいのかがハッキリしていないのかもしれないアイドルの卵の人を撮るための練習のつもりなのだ、と夢を夢送りにし続けることで気が晴れる。一時的に晴れる。そんなものは迷走であり、やがてそれはあっちの責任だ、これはそっちのミスだ、ブリッジSEが帰国中だ、パスワードがない、といった悶々に帰結、それがまわりの人々と俺のあいだで起きるのか、俺の脳内のあっちのしわとこっちのしわとの間の争いになるのか、それが違うだけだ。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
すべての写真はすでに撮られている。ベンチはイージー。そこには1塁側も3塁側もない。Rubbish。そこに座る人の不在を現す(笑)ベンチというイージーなイメージ。ここを定点に15年間毎日撮り続ければドラマの一つや二つ、産経写真の一枚や二枚は撮れるかもしれない。しかし俺はビギナーで、イージーな写真を高価な機材で撮るだけだ。不婚の非正規社員であってあり余った承認欲求の捨て場がないから淀橋ドットコムに私財をどんどん注ぎ込んでは日本郵政の再配達連絡期限が18:00までであることを呪うだけの小太りのおじさんにすぎない。いい年こいて、宅配BOXもないボロアパートの狭い一室で。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
マクロレンズを持たない俺はそれでもなお、ケイタイに勝てないことを認めない。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
寄ることができない。BOKEHも凡庸。俺の理想とするBOKEHLICIOUSの写真というのは、たとえば2mとか、大きな被写体にピントを合わせてその背景に存在の分かる大きななにかをうっすらと、それでいてフォーサーズ的でなく、大きくボカす、そういう写真だ。必要なのは機材だけでなくロケーション。そのロケーションを探る暇も気力もコネも体力も胆力も眼力も腕力もない。なぜないか、ピントを合わせる被写体がないからだ。人生のピントを合わせるべき「今」がない、もしくはあっても凡庸でコントラストに欠けて暗く淀んでおり、センサーがピントを合わせられないのだ。
 
 
 
GR Digital4
寄りたければ、GR Digital4があるじゃない。
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
もう少し"前BOKEH"にも"後BOKEH"にも桜を多く散らしたアングルでは表情が来なかった。俺は声をかけることもできない。「なにか喋って」「今日すごい静か」「名前呼んであげて」そう言われても俺の関心は2枚の大型UDレンズ、二次スペクトルの除去に効果の高い、低屈折・低分散特性を持った光学素材、蛍石のように異常分散特性を備え、2枚で蛍石1枚にほぼ匹敵する性能を備える135mm、そちらに向かっていて名前を覚えられない。
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
あ、α99だ、有機ELファインダー&3軸チルト液晶モニターだ、総画素数2470万画素、AF測距点が中央に集まりすぎているのが残念な35mmフルサイズ Exmor CMOSセンサー のα99(価格ドットム最安222,000円)というのは思い出せても、人の名前を思い出すことができない。
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
それにここはどことも知れぬ神秘の森の少女ではなくて、東京都江東区の青海南ふ頭公園の大撮影会場だ。ここにいる全員が全く同じ写真を競って撮りあっているのだ。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
3年前にふと思いついてドバイに行ったときに思ったのは、その「全国民石油王」「蛇口をひねれば石油王」的な偏見から、そこいら中に平日の昼間からふらふらとなにもせずに歩いているオッサンの数の極度に多いことだったが・・・もちろん一歩はずれて路線バスに乗ればJR東日本も真っ青な鮨詰めバスにアジア人労働者がひしめきあってはいるのだが・・・しかしこの国でもよく見たら同じ、公園のベンチの多くは、今なにもしていないオッサンに占拠されていたし、かくいう俺もなにもしていないのだった。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
いったい、そんなに5分おきに東京から大阪から行ったりし続けることに本当に意味があるのか? どうしてインターネットの会社が表参道にオフィスを構えないといけないんだ?
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
この頃から俺のFlickrサイトの"Contacts"ページは桜で埋まるようになった。俺がそれらを見て退屈しないのはたぶん、EXIF情報から撮影に使用されたカメラ・レンズ・設定値の情報を引き出して、ひいてはそれらの値段・豪勢ぶり、コストパフォーマンス、すなわち撮影したオッサンは正社員なのか、地方公務員なのか、ヒルズ族なのかがうっすらと見える気がするからだろうと思う。たぶん、そこに写っているものを見ているのではなく、レンズを、カメラのほうを、そして人間を見ているのだな、と思う。この人はどういうカメラで、いつのどこで、どんな構えで撮ったのか、それが気になる。間接的なストリート・フォトグラフ。そう見られることを避けえない写真。守りたければ、そんなことよりも興味を引きうる別の被写体を探さなければ。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
人々は桜の木の下に集い、ヒルズ族の豪勢なリア充ランチを食べていた。たかがランチでも、無駄に豪華に見えた。誰一人としてピーナッツバターのつもりで間違えて買ったメンチカツのランチパックを頬張っていたりはしなかった。ここにいる誰もが、一眼カメラか、リア充ランチを持ち寄っていた。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
そして俺は歩きすぎて疲れてきた。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4 5D2 + EF 135mm F2L
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
(F2.8より明るいレンズでAFピントが来るかどうかは運次第)
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
(F2.8より明るいレンズでAFピントが来るかどうかは運次第)
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
 
 
 
5D2 + EF 135mm F2L
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
川沿いには屋台が出ていた。稼ぎ時だった。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
熊本県ゆるキャラが使用されていた。あとで「くまぽん」の使用には条件があるはずだというのをテレビで見た。 
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
橋の上には写真ブロガーがひしめいていた。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
つれづれ日記。日々のつれづれ。ダカフェ、カプチーノ
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
いや、ブログは終わった。Facebookかもしれないし、簡易ブログサイト・トゥイッターかもしれない。LINEかもしれない。よく知らない。はてなダイアリーにも桜日記がたくさんあるはずだが自分のブクマには流れてこない。誰も桜ブログをブックマークなんてしないからだろう。
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
ガラケーで桜撮ったからうpしていく、というスレを立てているのかもしれない。
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
EF 17-35mm F2.8L USM。目ざとく見つけては話しかけ、盛り上がるキヤノ坊・ニコ爺はこの界隈にもたくさんいる。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
PHOTO YODOBASHI / もう、その写真は、
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
過去何十年にも渡って、みんな同じに、撮ってきた同じアングル
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
俺が小さな子供の頃、金魚すくいを真剣に執り行うようなまじめさ、社交性、コミュニケーション能力が欠けていたと思う。すくってどうする、俺は家に帰りたい、そういうダダをこねるタイプだったように思う。
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
そこで焼いた肉を食うようなことが全くできない子供だったように思う。
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
人見知りが高じて、自分の回想を重く見て、他人の回想を見下す癖がついた。見下す前に飽きがあり、失望があり、絶望がある。絶望が期待を潰し、好奇心を挫き、小さな旅を計画する前から疲れきって家に帰りたいと思うような硬い退屈に覆われていて、それを「まずい」と思う教育への意識が少しあった。もう少し良い教育を自分に施したほうが良い、という思いがぼんやりと自分の中にあった。しかし幼少期の記憶はすべて、俺においては、すべてぼんやりとして嘘っぽく捏造されており、その後に訪れるおっぱいにしか興味がない時代によってすべて上書きされてしまったように思う。今、おっぱいよりもオリンパスの銀色のレンズを触るのが好きな時代に入り、これも上書きして、脳の古いしわはどんどん伸びていくんだろうと思う。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
そこで焼いたような肉を信用できない反原発のような子供。反焼肉。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
人見知りが高じて、人を外見だけで判断する傾向。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
DigitalRevのように、香港の、同じエリア、同じ場所でしつこく、記念写真を撮る人を撮る人をビデオで撮る香港の物販会社。俺もまた誰か別の写真ブロガーに撮られてブログだかフェイスブックなどにアップされているだろう。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8 α55 + Minolta 24mm F2.8
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
(F2.8より明るいレンズでAFピントが来るかどうかは運次第)
俺の中の人が囁く。「もう諦めて、大三元の長い2本だけ使ってろよと。なんなら望遠はF4だけ使っとけよと。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
しかし定まった画構成のアイデアもないし、動くのは好きだし、ズームを使うには自分の信念が弱すぎるような。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
そんな心の動きの無意味さ。それが誰の何に影響しうるか。なんの意味があるのか。なんの意味がないのか。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
なぜそこで焼いているそばを買わずにコンビニでパックされた飯を食おうとするのか。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
しかし、これでもまだ、苦痛だったのだ。非コミュの俺に、花を撮る気楽さはなかった。屋台を撮るには、超えねばならぬいくつかの心のハードルがあった。換算35mmでここまで寄るには、打ち破るべき心の障子が何枚もあった。
 
 
 
α55 + Minolta 50mm F1.4
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
撮り倒してもう撮るものがなくなったので夜を待った。
 
 
 
5D2 + Tamron 17-35mm F2.8-4
しかし難易度が上がるだけで撮れるものは変わらぬ。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
難易度が上がるのでカメラのグレードも上げねばならぬ。マウスオーバーして出てくるカメラレンズスペックは俺が1枚1枚わざわざ記載したものだ。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
いつの日か、BOKEHLICIOUSの写真に飽く日が来るのだろうか。
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
正面や下方からのストロボ照射が現実の太陽のあり方と異なるために不自然の写真となって上方からの照射が好ましいような、それでも高度が少し低いほどにヒルズ族のブレックファストの雰囲気が増すような、そのような意味でアウトフォーカス部のBOKEH味の描写は現実のヒトの視覚のリアルの反映として好ましいのか、それともダカフェ日記の生活と出版への羨望や嫉妬なのか。
 
 
 
5D2 + Sigma 50mm F1.4
俺はついに愛憎半ばするシグマの50mmF1.4(2度も調整に出し、まだ合わないのでカメラ設定で全力で振り切った後ピン設定)を取り出す。俺の目が見ているのはこのような、BOKEHLICIOUSの風景なのだろうか。
 
 
 
5D2 + Sigma 50mm F1.4
それともこのような、ボケのない風景なのだろうか。
 
 
 
5D2 + Sigma 50mm F1.4
接写にはケータイが一番だろうか。
 
 
 
5D2 + Tamron 28-75mm F2.8
それとも大口径ズームでBB(BOKEH BALL)をつくるのが俺のリアルの視界の反映なのだろうか。
 
 
 
5D2 + Tamron 28-75mm F2.8
 
 
 
GR Digital4
 
 
 
GR Digital4
 
 
 
5D2 + Sigma 85mm F1.4
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
最後に雨が降った。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
雨が先で、爆弾低気圧がやってくるのはもう少し後だった。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
だから舞い散り飛び回る花びらの姿は撮れなかった。撮れる場所へ自らすぐに赴くのは戦場カメラマンの仕事だ。
 
 
 
α55 + Minolta 24mm F2.8
ブロガーはたまたま撮れるものを撮り、記録していく。それでいいのか、考える時間だった。
 
 
 
GR Digital4