メモ

多くの日本人は、「世間」の中だけに生きていて、「社会」には生きてないだろうと思います。「社会」に生きなくても生活できるからです。「世間」がその人を受け入れれば、「社会」に向かって文章を書く必要もないのです。けれど、「世間」があなたを拒否したら「社会」に向けて文章を書く必要があるのです。

<<略 順入替>>

彼(引用者注:秋葉原の犯人)が、同じ、非正規雇用の挫折した若い男の友人が欲しかったのなら、相手は彼の「世間」ですから、長い文章を書く必要はありませんでした。でも、彼が一番、熱望したのは、若くて魅力的な、自分を理解してくれる女性のはずです。
それは彼の「世間」の中にはいません。彼が、そういう人も自分の「世間」に取り入れようとしても、相手は、彼を突き飛ばして、自分の「世間」から排除し、彼をただの「社会」にするはずです。
「社会」の中から、味方を創り出すためには、共通の前提のない、前提をいちいち説明しないといけない、長い文章が必要となるのです。

鴻上尚史ドンキホーテのピアス』682 (SPA!9/16号)

成人してのちもわたしが守りつづけた唯一の教訓は、たぶんこれだけだ - 冒涜の言葉や、卑語を使うと、不愉快な情報を聞きたがらない人間に耳と目をふさぐ権利を与えてしまう。
カート・ヴォネガット『ホーカス・ポーカス