なにも進展がないのは、お寺の件で、そもそもお寺なり、妹なりから直接自分が呼ばれているわけではなく、すべて父親経由であるから、自ら「こんにちは」と突然訪ねるのもおかしな気がして、結局、三軒茶屋の駅で待ち合わせて父の付き添いという形で訪れる予定のことだけが決まっていて、あとは、もうムッツリ、ただそこに居る、なにか聞かれたら答える、そしてひたすらタバコを吸って時間を消す、その心中をあとでブログに書くために記憶する、それくらいのことしかできない。客観視点(のつもり)で自分をひたすら見る、それ以外に自我を保つ方法が見つからない。そんな状況が継続。妹の子供、甥っ子、姪っ子に興味があるかと聞かれたら、興味云々ではなく、知りたくない、ある程度の思春期の年齢になって、俺は若いころのことなど思い出したくもないし、考えたくもない、ただそれだけだ。知らん。彼らから俺がどう見えるか、想像だにしたくない。いじめもあったろう、登校拒否もあったろう、第一志望には進めなかったろう、噂に聞いたすべてが自分の経験にはなく、ただ若いことへの嫉妬のみ。母親である妹とは、直近では数か月前の猫の写真にレスポンスしただけだ。
・・・たぶん、俺が怖がっているのは、甥っ子姪っ子の視線なんだよな、たぶん。
漫画は読まないし映画も見ない。TwitterはやるがInstaは知らん。自分が特別に気難しい人種という自覚もないが、若い人がなにに関心があって、なにをどう考えるのか知らないし、それを知ろうとする後頭部の禿げたおじさんをどう思うか分からんし、自転車とカメラと筋トレに興味がないなら、話ももたないだろう。今どきの受験事情も就職環境も高校も大学もなにも知らん。アトピーにかつて苦しんだ後の顔面も見苦しいだろう。
仕事に関しては、仕方なくプライオリティを上げて筋トレを減らした。ジムに行かないで仕事に集中する日を増やした。その結果、胸・背中・大腿四頭筋・肩・腕・ハムケツ、の6分割トレーニングをやめて、プッシュ(胸・肩・上腕三頭筋)、プル(背中・上腕二頭筋)、レッグ(大腿四頭筋、ハムケツ)の3分割に変えた。毎日ジムに行き続けなくとも刺激が各部位に入る。その代わりに仕事は、他人の、誰彼ともなくccメールで飛んでくる質問にも多少は積極的に返信して、会議でも発言を伸ばすようにした。それで仕事由来の鬱には多少の改善の兆しが見えはじめた。ここ数年の暇具合のほうが異常だったのだ。夏場のスケジュールは厳しい見込みだが、会話が増えれば孤独に困ることもなさそうな予兆に手を、ぎりぎり指を、引っかけて捉まえている感じ。まだ指は痛い。
それで回復した鬱を頼りに、もともと予定していた旅に出た。夜には雨が降る予定の、土曜日の朝に。
新横浜→名古屋

職場の体制が変わり、身勝手な旅先でのログインにも規制がかかるかもしれない。まずは一旦、最後のワーケーションのつもりで一週間を過ごす。そこには、仕事を引退するまでは少なくとも真面目な勤務者でいようという思いと、早めに引退する資金力と度胸がなく、ふつうに引退できる年齢になるころにはもう旅をする体力もなかろうという、三つ巴の人生の呪縛が作用する。
氷河期生まれで大手勤めでもなく、数十倍率の受験戦争に勝ちながらも、数千倍率の就職戦線に敗れ、賃金も頭打ち、インフレ、絶望、下請け、業務委託、解雇規制のなさ、その代わりの働き方の縛りのなさ、元請けの就業規則の非適用、グレーゾーンの自由を活用することに、絶望を緩和する理屈をつなげている。自分の場合は、30代で大手に転職も経験して、その勤務にウンザリして辞めて出戻りしているので、氷河期世代を理由にした大手「一流」企業社員への嫉妬もない。あれはあれで、一つの典型的な地獄だと思っている。とりわけ自分のような内向属性の人間にとっては。
コロナ下、GoToTravelキャンペーン下で2023年頃に始めた一週間単位の(働きながらの)国内「中期」旅行は、その後、隔月、それから毎月の行動パターンになり、キャンペーンが終わってからも続き、行先は、東京・千葉・埼玉・栃木・群馬・福島・宮城・新潟・大阪、と変遷し、その中でも理由があって、大阪にだけはハマってしまった。2025年にはもう毎月大阪に1週間単位で出かけるのが常になって、大阪関西万博にも6度行く顛末になった。
旅の目的をネットなりAIなりで調べてもピンとくるものはヒットしない。観光地ばかり行くなとか、目的のない旅が良いとか、美術館がどうだか、あいまいな表現の中に苦しさを見る。自分の住処の近くの有名観光地に行かないのはよく聞く話だが、結局のところ、旅程・帰宅日が決まっていて、時間と空間を強制的に区切ることになるため、その制約が、いまのうちにやっておかないと、という行動力の源泉になるのだろうと思う。普段、地元に居ては発揮されない行動力が湧いてきて、その一方で最後に疲れる、ある意味では麻薬のような作用のことを言っている。それが欲しくて旅に出る。出張の要請がないから、自腹で切符をポチる。
必要経費としての交通費と宿泊費がかかるが、Gotoキャンペーン亡き後は、JR東のポイント由来の激安チケットか、定期セールの飛行機を利用していたが、ホルムズ海峡の騒ぎ以降に飛行機の値段も上がり、それが難しくなっての今回というわけだ。飛行機で直接大阪に入るのがとくにお得でないのなら、新幹線で名古屋に寄ってから一泊し、次の日に近鉄電車で大阪入りしたほうが楽しいだろう、と。それで旅程を伸ばせば交通費の割合は薄まる。その分、宿代の圧縮が喫緊の課題である。

しかし、宿の多くて安い大阪と比較して、土曜日の名古屋の宿代は高くついた。手ごろなホテルも見つからずに5000円超過のカプセルホテルが最安リストに出てきて、仕方なくそこに一泊した。一覧に出てくるのはその日程で泊まれる場所の値段順一覧であり、かつ、地域の範囲もどこまで指定が効いているのか分からんので、たとえネットでAI任せに選ぶにしても、経験値が足りないと選択の幅が狭まる、それだけのことかもしれない。名駅から歩けるカプセルホテルは若い外国人や若者の目立つおしゃれなカプセルホテル、とはいえ、夜中に共用ラウンジを除くと、それなりに高齢のおじさんおばさんもいるようだった。他人がスナック菓子を食べながらスマホでネットサーフィングしている姿を見るのは、同じことをしている自分の癒しにもなった。
とはいえ所詮、立ち寄っただけの町。この町では会う予定の人もいない。天気も悪い。ジムで筋トレして、お城を遠くから見物して、疲労して、深くものを考える時間もなく、ただ過ぎ去るだけの、もしかしたら次回は目的地になるかもしれない期待を今回も挫かれた、新しい町。かつては家から自転車でここまで来た。何度かに分けて来た記録がブログに残っていた。だからどうした。それがどうした。前途ウンザリ、夏場の仕事の絶望の気を紛らす素晴らしい旅には今回もならない予感を抱えたまま、サイゼリヤで次の列車の時刻まで、ひたすら時間を潰すだけの。


