仕事以外の鬱の要因について

毎週末の朝恒例、全裸でオムロン機で体重を測り、ゴミ出しをしつつ、ジムへ行ってInBody270で着衣体重を揃える調整をしてから、着衣で体脂肪率を計測。今週は想定範囲。その後家へ戻って納豆朝食と味噌汁。その後しばらくネットサーフをして、Youtubeを見ているうちに昼飯。その後、最近は昼寝をすることが多くなった。昼寝から起きて夕刻、筋トレするために再度ジムへ向かうのが通例だった。

膝保護具(ニースリーブ)をつけて、必要品を鞄に詰めてスマホを持っていざ出かけようとすると、楽天モバイルの着信履歴に父親の名前があることに気づいた。仕事以外で俺に電話をかけてくるのは、父親以外にはいない。

頻度は年に1~2度だが、要件はたいてい同じで、親族との交流をしない俺(52歳)を、親族のイベントに参加させて、関係を修復させようとしてくる提案をオブラートに包んだ、なんらかの話。参加依頼の話。具体的には、妹が寺に嫁いでいるので、そこの儀式の手伝いに呼ぶ誘いだった。毎年同じ。自分が年末年始にも実家へ帰らなくなって年賀状にも返信しなくなって以降のアフターコロナの定例。ちなみに父は母との死別後、60過ぎてから再婚している。異性はおろか、同性はもちろん、犬とも猫ともTwitterともChatGPTともまともに会話できない生涯童貞みたいな俺とは人種が違いすぎる。

俺は、会社の飲み会も、親族の食事会も、いずれも、ほぼ一言も話すことができず、水につかって息を止めて過ごすような苦悶の時間でしかないので、なにをどう努力すれば、会社の同僚や家族と会話ができるのか分からないので、つまりそれを学ぶために大学に入って勉強するつもりだったが、大学では人となにを話したら良いのかを教えてくれなかったので、未だに俺はそれを全く知らないのだ。

なにを話したら良いのか、が問題なのではないのかもしれない。とにかく、俺は、仕事で最低限の成果を積み上げなければ会社の同僚に会わす顔がないし、家族の発展に貢献しなければ、親族に会わす顔もないのだ。立場的に、いずらい、ただそれだけのことかもしれない。誰にもモノを買わせる行動をしない俺にTwitterに会わせる顔もないのだ。だから街行く他人も会社の同僚も家族も同じ、俺は誰の葬式にも行かないだろうし、俺の死後がどうなるのかも知らない。会話ができないのだから仕方ない。

母も生前、人と交流しろ、というのがほぼ唯一の俺への説教だったわけだが、結局のところ、就職し、家族から離れ、一人暮らしを始めてようやく自殺念慮から解放され、自分の人生を生き始めた自分は、今さらなにを言われたって、そんなことできるわけねーだろ、でしかないのだ。今からロシアで弁護士をはじめろ、と言われているのと同じくらい(能力的に)無理な話だ。が、これが人に伝わりにくい。おそらく。

その最後に、「家賃の更新もあるだろうし、連帯保証人が必要だろ?」と言われた点が今回少し新しかった。俺はいまだに、年金しか収入のない親を連帯保証人に立てて賃貸住まいをしている立場上、まぁ、としか返答しようがなかった。

家を買ってしまえばいいのだが、俺は横浜に永住したいほど横浜に愛はなく、むしろ大阪に住みたいけど仕事の都合上、今は大阪に住むわけにもいかない、という身で、家を買う意志もほとんどないので、そんじゃ、そのイベントに出ない代わりに、保証人会社を立てるか、そんなことを考えているうちにまた鬱になり、ジムへ行くのをやめてしまった。4日連続で行かないのは、いつぶりだろう。入院しても、筋断裂しても、そこまで長期間ジムを休むことはなかったはずだ。なのに。。。

インターネットにはいろんな人がいるかもしれないと思っていた頃がなつかしい。だが、なかなか似た人は見つからぬ。そんな人はネットにすら、姿を見せないのかもしれない。

 

 

 

 

 

鬱を追い払うために今週したこと

水曜日に福富町のイタリーノでチキンカツとハンバーグを食べたときに感じたのは、ああ、これがカツだ、昔西早稲田のフクちゃんで食べていたアレだ、という感慨で、ご飯が山盛りなのも良かった。開店前に行列していた全員が話もせずにもくもくと食べていたのも良かった。

食事を制限し、タンパク質、脂質、炭水化物の比率を緻密に記録して調整し、身体の部位を6分割して6日かけて全身の筋トレをする、一週間に最低6回は筋トレする、そういう生活を2年以上続けていて、それをいったん中断すること、そしてそのかわりに仕事に集中すること、それが今週、鬱を追い払うために手始めに実行したことだった。

そうしなくても5年近くリモートでやってこれたのに、それがもう持たなくなりつつあり、いざとなったら人にやらせなくとも自分でやりゃいいや、ができなくなって、仕事に対する無能感、もしかしたらなにもできなくなる、という焦燥感、クビになる、なってもまだ年金がもらえない、貯金が超速スピードで減っていく(34-35歳で経験しているので、仕事を辞めたらものすごいスピードで金が減っていくことは体感で知っている)それと、まぁ、闘うというか、それに抗うことにしたわけだ。

筋トレは来月から6分割をやめて3分割にするかもしれない。

体脂肪率は上がるかもしれない。

それとは別に、室内の筋トレ器具をすべて廃棄して部屋を広くした。どうせ筋トレするときにはジムへ行く。

4月から在籍会社が変わって、給与が少しだけ下がった。40歳ぐらいでグッと下がって。45歳でさらに下がって、52歳でもっと下がった。(それでも自分としては、今ではまぁ、よくやっているほうだ、俺にしては上出来だ、俺のくせに、団塊二世のわりには、よく生き延びてきた、とは思うが、)世の中はインフレ。それでもリモートワークのメリットが大きすぎるのでそれでいいやと思いつつ、40代はほとんど金を使わずに仕事だけして過ごしたので、49歳あたりから毎月旅行するようになり、貯金は増えにくくなり、むしろ減っているかもしれない。株式投資はもともと微々たる額しかしていない情弱組であり、40代で貯めた貯金の目減りもうんざり。

旅に没頭するようになった明確な理由はあるにせよ、それだけを頼りに、他は筋トレに全身全霊を捧げる、みたいな生活も続かなくなってきた。(飛行機のセールもしょぼくなってきた。)加齢で身体がついてこなくなるよりも前に、加齢で頭が仕事についていけなくなる可能性のほうが高くなってきたので、そこを調整しようとしているのだ。

たぶんそういうことなんだろうと思う。

日曜日をいつも通りに過ごす

朝飯食って少し寝て昼飯食ってジム行って夕飯食って少し大きめのゴミ出して今に至るいつもの日曜日。鬱の原因が仕事由来なので遠ざかれば回復し月曜になればまたぶり返すだろう。今まで何とかなった試しなんて1度もない。

はてなブログの書き始めの頃が第4の鬱で、その前に3度なっていて、それ以降なっていなかったのだが、今第5の鬱になっていて、19歳、30歳、34歳、35歳、52歳、というわけで、52歳の鬱は救いようがない。ような気がする。そして薬で治るものではなく、原因の除去が必要だが、原因を除去すると生活が成り立たないので困っているわけだ。

とはいえ悩んでも無駄なので悩まず、いつも通りにするしかない。どうにもならん。

 

病んで最初の週末

昨日は朝起きてオムロンで体重と血圧測定、ゴミ出しをしつつInBodyで体組成を測りに出かけ、体脂肪率の増加を確認して帰ってきていつもの目玉焼き納豆朝食をつくり、洗濯機を回し、もち麦ごはんを6合炊き、1kg弱の鶏胸肉をミンチにして冷凍し、来週のエアコン見積もりのための部屋の片づけを少しして、あとは、業務スーパーの蕎麦を食い、脚トレをしてホットペッパーグルメ限定ポイントで焼肉を食い、Youtubeを見ながら寝落ちした。日常に戻れた気もするし、それでも3時過ぎには目が覚めてしまい、今に至る。

前週に賃貸管理会社から連絡があり、エアコンの交換をするという。オーナーからのエアコン交換の提案はおそらくx月の契約更改における家賃値上げ交渉の布石なんだろうと思う。俺の給与は上がらない見込みだし、いよいよもうこれ以上生きていける気がしないのだが、でもそれが現実なのだろう。

家賃の値上げ相殺するためにInBodyをやめるか、タバコやめるか、YoutubePremiumやめるか、ジム辞めるか、あとサブスクなんかあったっけ? あ、携帯のJALMobileをeSIMにして出費抑えるか、などなど。

50を過ぎて身体は終了に向かっているのに、年金まだぁ!? 仕事を引退できない情けなさ。絶望。心がやむとすぐに、今すぐに引退できないものかと算段するが、できない、全然できない。独り身で、ずいぶん慎ましく暮らしてきたつもりだが全然できない。

ともあれこんな時間に目が覚めてブログ書きするのは良くない。本当に良くない。

 

自分の年表をつくる1

はてなブログは2008年8月(34歳)、Twitter(X)は2008年12月(34歳)からはじまっている。
はてなブログは年月ごとによく分類されていてアクセスしやすいので、自分で当時を振り返りつつ、自分の年表をつくろうと(治療の一環)思う。
最初の投稿は秋葉原の通り魔事件の感想をつぶやくところから始まり、続く日々には仕事関連の読書感想やら上司のやりとりやらを短くつぶやいていた。そんなことを書いていた時期があるんだなと感心した。
(とはいえ、自分ははてなの前には別のところでずいぶん頻繁に株式投資のブログを書いていたこともついでに思い出した)
はてなに書き始めの2か月後には今の横浜の家に引っ越ししてきたようだ。
2008年10月に「東京を去ることにしました。で、また横浜に住みます。」と書いてある。ということは、鬱やら休職やらハローワークやら派手に暴れていた時期なのだろう、ブログからはそれは読み取れなかったが客観的事実の記憶と組み合わせればそうなる。そのころに撮った部屋の写真があった。今と同じだ。
34歳から18年間も同じワンルームの部屋にいるのか。撮影機材はカシオ計算機のガラケースマホW53CAで、機材は変われど部屋変わらず。この引越しで不動産屋に投げつけた手紙「敷金返済要求レター草案」という記事が自身初の100ブクマを集めていた。
2008年11月に今の職場に出戻りとして誘われたかのような記事もあるが、イタリアスイスドイツ旅行やお遍路旅との順序がどうなってるのかよく分からない。思い出せない。

blue-period.hatenadiary.org

 

「ミドルエイジクライシス」で検索したら30代や40代の話ばかりだった。

2018年(44歳)に2件、

2017年(43歳)に4件

しかブログ書いていないのか。

2019~2025まで0件で、

2026年(52歳)に1件書いてみる。

2019年末(45歳)に最初の患者が確認された流行り病で

2020年(46歳)からリモートワークになり、仕事の仕方が一変して、その後徐々に、

2022年(48歳)あたりから生活が変わって、

2024年(50歳)からは極端になり、

2026年(52歳)に至る。その過程はTwitter(X)に垂れ流しているものの、要は、ひたすら1週間単位で旅行するようになっている。休日に移動し、平日は仕事し、休日に帰ってくる。自由時間は原則、早朝と夜だけだ。

 

不真面目の極み、それでも不安はなかったのだが、2025年(51歳)あたりから、少しずつ、自身の衰えというか、頭の悪さに拍車がかかり、ミスが多く、多すぎてミスがまずくない立ち位置にスライドし、それでもなお、ミスが続く状況となり、視力も衰え、いよいよクビになるんじゃないかと不安になって、ブログに長い文でも書かなきゃ、他に何にも手がつかない状況になって、これを書いているわけだ。

2024年からほぼ毎日ジムで筋トレをしているが、今日はジムに行くよりもブログを書く方が優先になるくらいに滅入っているわけだ。

昨晩、非常にひさしぶりに手のひらの皮膚が剥がれた。ストレスがなく長く起きていないことが起きて、いよいよ、まぁ、でもどうすることもできず。なにも書くこともない。

 

まずは金曜日を耐え、月末を耐え、月初耐えたら、また旅行だ。
長く旅行のループをしていたが、次の旅行で計画はいったん切れる。飛行機が安くなくなってきたからだ。

 

あとのことはそれから考えるか、もしくは考えないかもしれない。

今週は自己最低のInBody体脂肪率11.1%まで記録しているのに、今さらジム通いをやめたくない。仕事を追い出されてはならぬ。しがみつかねばならぬ。

どれだけバカにされ、どれだけ無視されて、どれだけ迷惑になっていようと。。。そう言い切れる胆力があるかどうか、自信はない。そこに気づけない可能性にかける。

 

 

 

 

結石

希望して泌尿器科から病院へ紹介してもらい、CT、3度の検査で膀胱癌の疑いは晴れ、6mmの右尿管結石が血尿の原因となる。止血剤をもらい、その後初回から2週間置き、計3回の血尿はなくなり、ウロカルンで自然排出を待つ。10/17〜18に腰の鈍い痛みがあり坐薬と飲み薬で痛みを散らす。19日に耐えがたい痛みで職場を抜けて職場近くの医者で坐薬。超音波で右の水腎症を確認。さらに追加で痛み止め。

病院処方
ウロカルン錠剤225mg x3週間分
ジクロフェナクナトリウム50mm(JG)坐薬 x5
ロキソプロフェン60mg(EMEC) x5
レバミピド錠100mg(EMEC) x5

職場近くの医者処方
ボルタレンサポ50mmg x5
チアトンカプセル10mg x2週間分