ぽめら
from『傍観者の時代』P.F.ドラッカー
『雑誌王ヘンリー・ルース』
- コンピュータを手がける前のIBMは、まだちっぽけな会社で、やっと中規模の企業に成長しようとしている段階だった。しかし、いくつかの非常に特異な措置をとっていた。たとえば、誰一人として解雇せず、あの一九三〇年代に、破産の恐れがあっても社員を整理しなかった。工場労働者に〔日給ではなく〕週給や月給を支払っていた。社員全員の継続的な訓練に没頭していた。監督者を置かず、作業チーム自体が「アシスタント」とともに職務を遂行するようにしていた。こうしてIBMは、あの余り魅力的とは言えない製品、タイムレコーダーだけで、しかも独自の技術なしで、不況時代に何とか破産だけは免れていた。その一方でIBMは、ワトソンの考案したスローガン「THINK」、「THINK」ステッカーの配布、その図柄、「THINK」にまつわる笑い話(その大半はワトソン自身がつくり、ひろめた)、そしてニューヨーク万国博覧会で数百万の見物客を魅了したIBMパビリオンに見られるような機知に富む派手な宣伝によって、自社が大企業であるかのように世間に思わせることにも成功していた──たとえば、パビリオンの見物客のほとんどがその時はじめてIBMとIBM製品を知ったのだった
- 電話は一両日後にかかってきた。ちょうど記者と私が差し向かいで記事を読み返していた時だった。「トマス・ワトソンだ」と、電話の声の主は言った。「わしの会社について書いた記者と話がしたい」「恐れ入りますが、ワトソンさん」と、私は応じた。「彼を出すわけには参りません。記事に関するお話は私にお願いします。私が記事の責任者ですから」「わしは記事について議論しようと思っているのではない」と、ワトソンは言った。「わしは、彼と個人的に話がしたいんだ」「私がかわりに伺っておきます」すると彼はこう言った。「あの若者に伝えてくれ。IBMの広報担当部長として迎えたい。給料は自分で勝手に決めてくれ、とな」私はこれはひょっとしたら、かねて聞いている「説得工作」ではないかと思った。「お判りでしょうか、ワトソンさん。記事は記者が辞めても辞めなくても出てしまうんですよ」「むろん承知している。記事が出ないなら、わしはこの提案を撤回する」「ワトソンさん」と、私は言った。「記事はお読みになったんでしょうね?」「むろんだ」彼は苛立っていた。「わしは、わしとわしの会社について書かれたものはいつだって読んどる」「それでもうちの記者をお宅の広報部長としてお望みなんですか?」「もちろんだ」と、ワトソンは言った。「少なくとも彼はわしの話を冗談半分には受け取っておらん!」
- 私はルースが彼独自の人間操作法を考え出したとは思わない。その昔の漢朝をはじめとする各種組織の運営に利用されてきた、中国古来の手法を適用したにすぎない。毛沢東は、ルースがその雑誌集団を経営するのに利用したそれとまったく同じ方法で政府と党を運営した──派閥をつくり、役職者や責任ある立場にいる者を周囲に工作し、下級職の者に、上司には内緒で直接自分のところに来るように吹き込み、派閥争い、不和、相互不信をはびこらせ、対立分子を対立させておくことによって政府と党を運営したのだ。
- 今世紀【引用者注:二十世紀】の最初の三十三年間に「サタデー・イブニンク・ポスト」をアメリカ一の雑誌に仕立て上げたホーレス・ロリマーは、雑誌というのは広告で収入をあげるものであり、予約購読制は本質的に広告収入を得るための「販売促進」にすぎない、と説いた。だが、当時の「サタデー・イブニング・ポスト」は彼の教訓を守っていなかった──一九三〇年代の終りまで、同誌は予約購読制で健全な収益をあげ、広告収入は純粋な余儀にすぎなかった。ところが、ロリマーのこの教訓はのちにアメリカの雑誌発行人と雑誌への投資家の、信仰箇条になった。これは有害ないんちき説法である。予約販売収入(と立売収入)で、少なくとも収支とんとんにならない雑誌は消滅を免れない。予約購読者は金で購える──が、必ずそのつけが回ってくる。
- ヘンリー・ルースと最後に会ったのは亡くなる六ヶ月前、一九六六年九月にニューヨークで開かれた国際経営会議の、講演者のための公式夕食会の席でだった。ルースは主催者の一人として出席していたのだが、当時まだ六十八歳だったというのに、八十代の半ばに見え、死人のように蒼白かった。が、彼は相変わらず丁寧で、私に温かい言葉をかけ、袖を引っ張って彼の隣席に座らせた。「最近は何をやっているんだね?」「実は、たった今、日本から戻ったところなんです」と、私は答えた。「ハリー、日本はみごとに戦前の立派な姿に戻りましたよ。それに西欧文化の日本化も急ピッチで進んでいます──想像つかんでしょうが」ルースは顔をしかめ、席から立ち上がり、くるりと背を向けた──これが彼を見た最後だった。
『二人の予言者』
- テレビに関して啓示を受けたばかりに、彼はポップ文化のソーロー〔十九世紀アメリカの超絶主義者、著作家〕として有名になってしまった──ことによったら彼自身もその気でいるかもしれない。が、これは、彼自身と彼の洞察力に関する、甚しく当を失した評価であろう。マクルーハンの最も重要な洞察は、「メディアはメッセージなり」ではない。そうではなくて、テクノロジーは人間の拡張であって「単なる道具ではない」である。テクノロジーは、「人間の主人」ではない。が、テクノロジーは、人と彼のパーソナリティを変えるのであり、人間のありよう〔自分は何者なのか〕を──ないしは彼の自己認識を〔自分を何者とみなすべきなのかを〕──変えるのであり、併せて、彼のなし得ることを変えるのである。
- 私は、バッキー・フラーとマーシャル・マクルーハンのどちらも、テクノロジーと文化と形而上学の三者を統合できないのではないかと思う。二人のビジョンには、テクノロジーと特定の人間活動との結びつきが見当たらないからである──「仕事」である。
(中略)
「いかにして物事がつくられ、なされるか」ではない。そうではなくて、それは、いかにして人間が、〔物事を〕なし、つくるか、なのである。技術は、意図的な、人工的な、非有機的な〔非生物的な〕進化を扱うものであり、この進化を通じて、人間は、他に類のない、人間だけの活動、「仕事」を遂行するのである。いかに人がなし、つくるか、いかに人が仕事をするかは、したがって、いかに生きるか、いかに同類の人とともに生きるか、いかに自分を見るかに、──そして究極的には──彼のありように〔自分は何者なのかに〕深甚な影響を及ぼす。
(中略)
仕事が生み出す類例のない社会的きずなは──柔軟で融通性に富み多様であるという点で、そしてまた、さまざまな要求を突きつけるという点で──人間独特の次元である。それは、「道具」としての「テクノロジー」と、「文化」および「パーソナリティ」としての「テクノロジー」の界面〔インターフェース〕である。この「仕事」に、バッキーもマーシャルも、ついぞ注目しようとしなかったのである。
- バッキー・フラーとマーシャル・マクルーハンは一つの目標に熱中することの重要性を身を以て私に教えてくれた。真に物事を成し遂げるのは、この道一筋の人間、モノマニアックだけである。残余の人間、私のような人間は、より多くの楽しみを持ち得るかもしれない──が、自己をちびちびと消費するだけに終わる。
- 自己の時節が到来してしまった予言者は、無力になる。彼は祭司になり、ビジョンは儀式に変わる。さもなければ、彼は、ナイトショーや社交欄に登場する名士になる。自己の時節が到来してしまった予言者は、もはや、衝撃を与えない──人を楽しませるだけになるのだ。