つまり

なにが一番恐いかというと、視覚・聴覚・嗅覚とも無事なままで、明晰な意識のあるまま、身体がまったく動かない植物人間として生き続ける状態がこわい、と、そんな話をなんでするの?という目で見るK子の視線(でもそれは非難の視線ですらなく、無関心の視線なのだが)を浴びつつ田中角栄が車椅子で運ばれているニュース映像を見ていた情景が浮かんでは消え眠れない今。
高い井戸の底で、真昼間の数分間しか光の差し込まない井戸の底で体育座りがやっとの状態で毎日投げ込まれるプラスチックパック入りの松屋のカレーと水のペットボトルを頼りにそのあと寿命が来るまで行き続けなければ行けない村上春樹の世界が次点。いや、結局ねじまき鳥では救出されるのだけど、救出のシーンを思い出せない。監禁のシーンが鮮明過ぎて。
小1の自分は骨折後の手術が終わり、13針の縫い跡のくっきり残った右ひじの内側と、その裏側に飛び出してたるんだままになった肉塊を見て、これが治らないで生きるなんて耐えられないと泣いた。1ヶ月ぐらいで消えるよと誰かが言った。もちろん消えないまま今も残っているのだけど、そんなくだらないことで、と思うようになった理由はべつのもっとひどいことがたくさん(いや、たくさんじゃない。二つぐらい)起こったからだ。直視ってなんだろ。