なんというか

ようやく長くつらい地獄の人生の中でもさらにキツい冬が終わろうかというはじめ頃に津波原発事故が起こりバタバタしつつ横浜で過ごすうちに4月になる。最近非モなんちゃらいう言葉を見かけんようなって。リアルにも昔と同じ人もいるし違う人もいるが、見ていると、まぁ個別に個性(笑)なんてのもあるのだろうけれども、俺にはよく分からない。結局、ああリア充の人しかいませんね、おめでとうございます、みたいな日々が続く。誰も新郎を喜ばそうなんて思っちゃいない。そんなことが目的で祝辞など述べるか。啓蒙するのだ。という冒頭を今なお心に残しているのはなんなんだろうか。手紙というツールが入るのが効くのだろうか。漱石先生がお金に関して親戚を信用しなくなる話とか。経験の相違か不足かそれとも別のなにか分からないが、ともあれ、容易に俺には人を尊敬したりとかはできそうにないし、まして「好きになるとか」、あるわけがない。
レイプされた話とか、騙されて逃げられた話とか、今も軟禁されている話とか、いろいろ聞いたけれども自分には人に同情する気持ちが持てなかったのか持てたのか、持ててなおなにも行動のしようが分からなかったのか、なにも分からん。レイプされた話とか、騙されてヤリ逃げされた話とか、今も軟禁されている話とか、薬を飲んでいるとか、そんな話を初日にしなければならないような人としか話ができないのか、いやそうでないこともあった気がするけれども、それはそれで、相手が若すぎて意味が分からないとか、ともかく。このままで進むと思い出すことのできる記憶のない長い老後、振り返れるもの学歴と職歴と通帳残高?ああ恐ろしいと思いながら、でもそこで焦ってもなにもできなかったので、焦らないことにした。止血を優先というか、ひび割れから汚染水が流れてしまうのは仕方ないよ、貯めておくわけにもいかないんだ。そういう人生なんだ。そういう。KANさんが一人で全大臣を兼任して官房長官も寝ずにやって運営していく国みたいな人生を生きるしかない。いろいろな自分にできないことが不安だと思う時期はもう過ぎた。よくしたもので、俺にできないことを、俺がやりたいと言わない限り、俺にやらせようという人はほとんどいない。だから服なんていらないし、話が上手になる本とか宴会で見せる芸100とかを読んだ学生時代の時間は無駄だった。使う機会など、大丈夫、話す機会など、どこにもないんだよ。ハローもグッバイもサンキューも言わなくなったのでなく言ったことがない。魔法の言葉なんてものを使う服がない。
そうして濁った目でつぶやく。
家にひきこもっていると見えなくなるもの。今もその多くを見えないようにしているからどうにか生きていられるもの。人間てもの。その残酷さ。あさはかさ。身勝手さ。おろかさ。無理解さ。理解不能さ。不能さ。どう見えるか。よく分からないが、それもまた人間、と見続けるのもしんどいものも多いので、あまり自分からなにかを見に行くことはやめた。自分が見に行かないのだから、自分が書いたものを誰も見なくなる日は近いし、老害老害老害!と言い続ける老害ネットももういいよ、老害は忙しすぎて羞恥心なんてものをもともと持ちようもない生き物だし、それはもともとのれいの日記に戻るというだけの話で。ブログというものがあるというので、おもしろいブログがあったので、というのでなにかを世界に向けて発信し始めて、みたいなものでは少なくとも此処は違うのだから、戻ればいいのだ。そうすれば、もうちょっと書くことがつらくなくなるのじゃないだろうか。