経験に学ぶ


俺は今頃気が向いた天気の良い日にだけオスプレイに乗って悠々と会社へ行きセクハラしながらガハハと笑ってるだけで宮崎あおい木村カエラ北川景子綾瀬はるか木村カエラ新垣結衣と16人の奥菜恵にあげるお小遣い代を差し引いても使い切れないほどの収入が毎日あって、美しいポエムとセックスなうを交互に書き散らしながら炎上も逮捕もされずに「つつましく」カツカレーを食いながら暮らしているはずだったがそうはならなかった。そうはならずにアイドルの卵のモデル撮影会に行く、というだけの理由でカメラのスペックをごたごたつぶやくみすぼらしい身なりの少年のようなオッサンで、アメーバーブログにイベントの告知しか書かないアイドルの卵のモデル撮影会に行く、というだけの理由でどういうカメラがあれば理想的なのかを考えカメラメーカーの世界シェアの数字を記憶したり芸術新潮を読んだり芸能界の枕営業事情のようなネット記事をむさぼり読んでは価格ドットコムの掲示板に被写界深度の説明をドヤ顔で投稿し、ヨドバシカメラの自動機械で現像した2Lサイズの写真を小さなアルバム帳に入れて@言及に対するレスしかしないツイッターを書くアイドルの卵のモデルさんにプレゼントすることで得られる20秒ぐらいのトーク時間を唯一の生き甲斐にして生きている。本当にどうかしている。目を覚ませと、16年前の俺に叱られているような気がする。自分が撮影したモデルさんがテレビ番組に起用されて有吉先生に絡まれるようになることが望みうる最高の夢と希望であって、みんなも似たようなもんだ、人生はそういうものだと本気で信じ込もうとしている意気やアップル信者にも劣らない勢いで、それをさまたげるような言葉をすべてブロックし、スパムとして報告しながら京急に乗ってぼんやりと、車窓を眺めている。車窓の向こうに見えるJR京浜東北線をdisり、JR東海道線をdisり、JR横須賀線をdisり、あたかも京浜急行電鉄の美点が俺の美点であるかのように誇り、JR東日本悪の枢軸、仮想敵国に設定し、憎しみを生きるテコにしてかろうじて、過去の年金未納を抱えながら生きている。そして、みんなそんなもんだと、そう思おうとしている。思わなければ、そこでメンタルが終了だからだ。
 

だからすばらしい新垣結衣が自分と同じように一眼カメラを構えている、という図を好ましく知覚することは間違っている。それをナボコフ先生はなんども口を酸っぱくして言っている。知識としては分かる。しかし新垣結衣が一眼カメラを構えている、という図を好ましく知覚することをやめるのが困難であるという心の弱さを理性で嘆き、行動がそれに反抗している。コントラディクションだ。自分の人生に自分が当事者として対峙できないということ、すばらしい新垣結衣が自分と同じように一眼カメラを構えているという演出に対するよりもリアルを、現実の世界を、より正確には、演出の中身でなく演出をしているという現実をカメラマンをスタッフをスポンサーをすべて、それは俯瞰であるメタであるということに価値をおくのでなくリアルである演出でない創作でないということ、芸術は人が創作するのでなく山奥でとつぜん発見するのだというスタンスのほうを、つまり新垣結衣であるならば俯瞰で、そうでなければ日常を、日常の中に意味を、発見を、見出すことができないライフを受け入れるのでなく、そうでない現実があるという現実を、ブロックせず、リムーブせず、スパムとして報告せずに見ること、ができるようにならないのだろうか。
 

背景をボカした写真が撮れることを熱弁する綾瀬はるかなどまっぴらである。背景をボカした写真が撮れることを熱弁する北川景子など見たくなかった。「よし! これからカリに行くぞ!って。私、レンズを交換するタイプの女なんです」と言う木村カエラの姿は、今日の午後の会議で、いつも嵐のコンサートに行くことしか考えてないプロパーの美人女子部長の姿を思わせた。俺はExcelシートのセル幅を調整しながら、構造に価値があるのでなく装飾に楽しみがあるのだということ、意味をつきつめることでなく無意味であることの贅沢さと、すばらしい新垣結衣に感情移入する空しさとの違い、差異、リアルについて考えながら、給与をもらっていた。
 
 
 
20121001t04
そして零時半。今夜も諦めて、マイスリーを飲むしかないのか。