そういえばDigitalRev

E-PL5 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8
http://getnews.jp/archives/370895
映画館で映画を見る、というのは人生で数えるほどしかないので、逆にいつ誰と(orひとりで)どこでなにを見た、とか結構覚えている。5年に1本ぐらいだろうか。映画を見てどうこう思うよりは、デジカメの新作をDisっていたほうが楽で楽しいというか、映画は逆に罰ゲームという感じがする。本ならどこでもすぐ「〜まで読んだ」と言って途中で投げ捨てればいいものを、映画の途中で席を立つ、というのは苦痛という気がする。かといって最後まで見れる気がしない。関心分野(マイブーム)がつながるようなものをやっていたりしても、それをYoutubeで見るか、映画館で見るか、というと、休日の使い方として、その選択肢はぐっと下がってしまう。写真を撮る、可能なら自転車で走る、泳ぎに行く、と比べると、だいぶ下で、18連休ぐらいないと映画館へ行く、というところまでにはならない感じがする。アートのにおいがするものは、まず生理的に全く受け付けないというのもある。それをかき消すだけの別のなにかがなければ。
写真を撮っていて、DigitalRevに倣い、ホトヨドバシの影響をかぶり、なるたけ無邪気に、しかし継続的に、機材名は律儀に添えて、かすかのウェブリアクションを頼りに(れいによって自分からのアクション能力はないままに)Flickrアップロードし続けながら、でも写真は撮って、アップ、言い訳なし、みたいな部分もあるから、アートのにおいの一番嫌だと思うところそのものになっている箇所があるのかもしれず、そうだとしても、そうでないにしても、それは避けえぬというか、繰り返しだが言い訳ができにくくて嫌だと思う部分があり、それはそれでアップするものの選択のバランスで言い訳を形成しているつもりだったり、もやもやする。
フィルムカメラを2台持って外国旅行をし続けて、なにができて、なにができないかを知って、2度と写真なんか手を出すもんか、という決意ぽいものがかなり以前にできたはずなのに老いて今のこのていたらく、不統一、悪趣味、性、アート、凡庸、いいね!、カメコ、いろいろうまくまとまらない。つまり、「非コミュ」ニケーション気質の人に生まれ、それで「いわゆる人生の大部分のことは諦めざるを得ないが、それでも死ぬまでは生きる」みたいな諦念ではじまる20歳以降の老後、みたいな人間になにが書けるはずもなにが撮れるはずもないものを、その言い訳、前提抜きにアップロードし続けると、とほうもないところからくるある種の批判に予防線が張りにくい感じがする。その批判、20年前くらいからもっと深く知ってるよ、という顔を、インターネットのこちら側でしていることぐらいしかできない。