あと

チャットとかですか、とカウンセラーはたずねる。いや、と自分。チャットをしていた相手は余命何ヶ月とかが決まった後の母親と、おととしの冬の一時期、いちブロガーさん相手、だけで、基本的に苦手だし、苦手の意味は、そのリアルタイム性にあるのか、距離感にあるのか(相手の時間を拘束している感からくる、拒否される予感の心理的ダメージへの恐怖とか→予感の恐怖であって、そうなってしまえば、そんなもんかと開き直りモードを発動して忘れる)と、あとは自分としても時間を拘束されるので、つまんないなーと思う場合のイライラとか。

msnチャットを開くと、同じIDなのに、彼女がいつもとは違うハンドル名で開かれることがあった。あれ? 名前変えたの? 彼女は回答をくれない。その後、ブログのほうで、暗号式に、その名前変更の由来はなんなんだろうなーという意味のことをコメントのレス欄を使って書いたりしていた。うどん食べたいなー、とか、和菓子もいいけど洋菓子もいいよね、とかは、すべて秘密の意味を持っていた。当時のブログには10人ぐらいの常連さんがいたので、隠れて暗号を交わす感じは卑怯な気もするし、しかし結局面白かったのと、それ自体は彼女も歓迎していて、チャット上では、いいよ、と言っていた。けれども、その別ハンドル名に触れると、彼女は機嫌が悪くなった。

ねぇ、そーゆーことブログに書かないで、と彼女は言う。書かないのは構わないのだが、由来がよく分からないし、なぜ隠そうとする? と聞く自分。女なんて☆の数ほどいるからべつに、とは到底いえないレベルの自分は慎重に、嫉妬に負けて相手を無駄に拘束するような愚は避けたいと思っていたけれども、あからさまに隠し事をされてそれに触れるな、といわれることは、結局心理的に無理を抱えることになるので、嫌だった。もっと言うと、その延長で、気になるのだけど聞いてはいけないこと、がどんどん増えていくことと、あまり言いたくないのに執拗に聞かれること(私の意識では、隠し事をしたくはないので一度は説明するのだが、同じことを折に触れ何度も話題にされることがしんどいなぁと思った)が重なって、いわば、あとになって記憶が薄れるにつれて「ありえないほどもったいないことしたなー」という感想になるぐらいに好きだったのに、自らもうやめよう、と言い、メールの返信をやめる、という行動に出たわけだ。

トルストイが書いていたけど、そうして短期的には拒むのだけど、時間がたつと、彼が自虐的に告白していたみたいに、性的欲望が復活してくるにしたがって、すなわち賢者モードでなくなるにつれて、再度メールを書いたりする。けれども、一度メールの返信を拒んだ(ヤケになって10通ぐらい連続してきていたメールをたとえば3日ほど放置した)あとでは、今度は彼女のほうの「スイッチ」がオフになっており、返信が来なくなった。

3ヶ月後に、心配だから、という言い訳でメールをすると、そのときに1度だけ返信があった。心配される必要はない、もうリア充ですから、という意味の内容で、敬語が復活していた。敬語!

ずっと敬語じゃなかったのに、敬語に戻る恐怖を刻むために、このブログで自分の名前に「さん」をつけた。