ナボコフ先生
朝から晩まで録画した有吉先生をずっと見ていて200枚ぐらい、テレビ画面に向かってシャッターを切っていた。
よく字幕が入るのでそれを並べたらよく分かるなぁと思いつつもべつにflickrに上げてもしゃあないかと思い自重。
テレビのお笑い番組にしか興味がないというのもティピカルなプリントアウターな気もするけど、失業手当を受ける身なので俺はメンヘルではないという。働けるのに働き口がないというステータスだ。そしてそれはメンヘルステータスにあるときと比較すればいくぶん事実に近いかとも思うので、気は楽かも。ぜんぜん額が少なくなるんだけどさ。死ねばいいのに。鳩山さんがどうの杉村タイゾーがどうの信号無視自転車がどうのという話もあるけど、自信を持って言える事は彼らより俺のが無能であり、彼らより俺のがevilであることが明らかなので、それ以上感想もないということ。
なんでこの人こんなに空気読める人になったん?
先生は今回とくに、二つのキーワードを何度も使っていた。録画放送を何度も見返していると、会話していない別の誰かのそのときの表情とか、放送のメインには乗ってないんだけど聞こえる誰かの発言とかまで見えてくる部分はあって、そういうのがなんというか、テレビはあれだけど、録画すると、わりと奥が深いよと思う。この番組だからてのも。土踏まず先生も言葉を拾い損ねていたり間違えていたりしてるな、とかも。で、一つは「支持者」、もう一つは「バックボーン」だ。たぶん道重さゆみ大先生をガキだから話にならないと切り捨てるのもまた、まだ「バックボーン」がないよ、というところから来ているんじゃないか。
この人の「バックボーン」はなにか。この人の「支持者」は誰か。そしてこの人は「なにを言わないか」。あともちろんその人は「なにを言うか」。白いノートに線を引いてひとつひとつ記入していったって仕方がない、もうちょいすばやく頭で計算してみる。そして、じゃあこの人はこれからどうなる、と予想をつける。そういうことだ。
そういうことをしはじめるとすぐに見えてくるのがそれ。テレビで人の表情とか声とかを見ていて奇跡的に面白いと思うのはたぶん俺がリアルの生活(もちろん〜2010年レベルのネット世界でも)ではそういうものを見ることができなかったからじゃないかな。会社に人はいた。なにか喋っていた。でもこわくて観察なんてできなかった。あるいは観察しようにも、自分の「バックボーン」がなかった。「支持者」がなかった。なにも言わなかったので、「なにを言わないか」も「なにを言うか」もなかった。とにかく早く家に帰りたかった。それだけ。もちろん「俺は」というだけじゃなくて、多かれ少なかれそういう人がほかにもいて、そうでない人もいて、黒・灰色・白の差はある。一方その頃先生は、という話。で、他方俺は、「なにを見るか」とか「なにをするか」みたいな方向へ逃げていた。