西口

西口のファーストキッチン前、編集者、女子二人、一人とは通信経験はあり、一人とは初対面、初対面のほうは美術系の大学名の入った名刺をくれ、通信経験のあるほうはヘタウマの漫画というのか、ともあれセックスについて描く漫画を書く人で、残り一人はアニヲタで、この人のことは少なくとも当時の自分はひどく見下していたので(今になって思えばそれを「ラノベ」と呼ぶのかもしれないようなものを書いていたのだが、日本語になってないのと、ペンネームのセンスが自分的に耐えがたかったので、それが理由で見下していたのだが)、ともあれそんな5人で飲み屋へ。
漫画を書く人のほうが言うのなら驚かなかったのかもしれないが、驚いたことに、美術系の大学名の入った名刺をくれたほうがカラマーゾフについて語り出したのだ。
経験値として、女の人でカラマーゾフを読む人が珍しくないことは知っていたけれども、それまでリアルの世界で「カラマーゾフ」という音を聞いたことがなかったので、菅野美穂の物まねが出来る物まねタレントみたいな美人の彼女がカラマーゾフについて熱く、というのか、オシャレに?なんだろうか、語る様、そして合間に酒をつぐなり、追加のオーダーをするなり、テキパキとやっているのをあっけに取られた感覚と言おうか、そんな思いで見ていた。
ドストさんてのは、こうした集まりで気を効かして酒をついだりなどできない主人公、そもそもこうして面と向かって人と対峙することを耐えられない人間、それをメタの視点で俯瞰してぶつぶつ語る語り手、男、ダメな男、理屈っぽい男、俺、これ俺、これは俺か、そういう思いで読んでいたから、こうしてテキパキした女の人がドストさんをどう読むのか、理解に苦しんだ。ファッションなのか?と。
カツマさんは、ツイッターの母集団から推定して、そのKDDIの統計はおかしいと言った。一方で俺は朝生なんて男しか見ないという目で見ていた。少なくとも見て発言するのは男であり、女は政治討論番組を絶対に見ないし、ましてそれについて発言したりしない、と。
ナボコフ先生に指摘される間でもなくというか、ナボコフさんに指摘されたからこそ、その後もうっかりとその陥穽にハマらずに自律していられるのかもしれないが、そうやって自己投影してどうにかこうにか、世界中で男子や美術系の女子大学生の関心を──理由はどうあれ──惹くに足る主人公に重ね合わせ、本当はもっとひどい自分の「無」から逃れることができていたのだからそれはくだらないことなのだ、という考え方について、ではどうすることができるかの展望はなく、それをいや、もう受け入れて、受け入れて生きるのだけどそれは依然としてつらい、つらいことであると考えながら仕事をしていた。と同時に、それを受け入れるがゆえに、自らの頭の至らなさも構わずにとにかく動くからこそ、仕事が進んでいるのだよな、とも。そこに程度問題の話があり、その程度が今はまだセーフと確信できるから耐えられるというのか。うわすべる会話が心地よく、頭の中が整然と整理されてクリアーな人と会話して参る、様々な種類の疲労
そうして、もう一つ、リアルとバーチュアルとでは、WinWinの会話をリアルに耐えがたく、嫉妬の炎はバーチュアルに広がり、とか。