撮影

1つめのレビューのあとで一服中に体調の悪い優秀君の医者話など聞きつつ3getだけしておいて、さて、あとで読むだろうか、と思いつつ、ん、おれもう1本吸うわ、と言って一人になり、サラサラと写真だけ眺め、うん、こないだフリッカーで見たやつですね、くそぅ、席に戻り、grepをかけてから昼休みに。ゆうメールにしたら嫌がるだろうか、など気にしつつ散歩がてら郵便局へ、結局大して変わらんので定形外郵便として送付。メール便の品などをコンビニに持ち込んでから2つめのレビュー。ストックホルム(脳内)のオフィースからの音声が聞き取りにくく、眠気に耐えつつここで機能削減しとかないと死ぬ・・・工数硬直性が異常・・・などぶつぶつ考えて自分を鼓舞しつつ終了。席に戻ると皆は帰り支度の時間帯か。客向け方眼紙を修正し、まとめをベテラン勢に見せつつ、そうよ、こういうの撮りたかったと思った1999とかを考える。ドヴロブニクでも十分だし、むしろそのほうが良いくらいなのだが、イタリアのバーリへ抜けられんものか、ロンリィプラネットをパラパラめくり、結局面倒になりザグレブへ。いや、トルコへ行きたかった。ドヴロブニクから当時のユーゴスラビアを抜けてトルコへ、そしてギリシアへ、と思いつつもその途中にあるのがコソボじゃなかったっけ?
なぜ夏のギリシアの砂浜へ行けば自分の写ったリア充写真が撮れるかもしれないなどと妄想したのかは定かでない。ドヴロブニクで道連れになった男子1人、女子2人とともに写った俺のTシャツの首もとはだるだるだったし、ありえんだろうに。とは言いつつも、人とうまく話せない人が人と浜辺を笑いながら走る図はありえなく、しかし抜けるような青空を順光で真っ青に、CPLで輝く水面、それだけを映すと引き立つ淋しみ、隠すための鎧としてのロードバイク、いや隠れてない。さりげなくないロードバイクのフレームインしたところの真夏の沖縄に水平に仕切られたまばゆい二つの青を撮ったつもりのプリントアウトの額縁の下には作品名「自転車でありえないくらい遠くまで出かける男性」と書かれている。男性が写っている必要はないのだ。そこに中級自転車が少しでも見切れていてピントが合っていれば、ほかに人が誰も入らないフレームの青、自転車でありえないくらい遠くまで出かける男性、まさにエンゾ・ブルーの自転車でありえないくらい遠くまで出かける男性、そう思うと輪行工具の拡充熱はいつのまにやらどこかへ霧消。
それでも年を取り、アタマの悪い人間に生まれた人なりの処世術というか、とにかくアタマがよく、アタマの悪い人をdisることを燃料として生きるタイプの人だけ全力で避けていれば、アタマの悪いことがそれほど大きく障害にならないことも多いようなタイプの仕事を働く。そしていつクビになるかも分からない非正規という名の希望。いつだって長旅の準備は怠らずに生きられるという夢。カトマンズで沈没。赤い鉄橋の下で野宿。EOS5DMarkII。セレスタミン。眠気。