冬とか


セレスタミン2錠体制を3日、1錠体制を3日、症状はほどほど。不眠もほどほど。多目に歩いたあとの足の劣化を気にする気分があるのだが、それと自転車後の手もそうだが、お遍路に照らすと、そうも言い切れない気もするので少し無理してみるのも実験としては面白いのか。レンズを振り回す場所も時間もなくイライラというか、気の紛らし方のないことにウンザリするのだが、ワイドレンズとなると、いよいよ使い場所がない気がする。でもそれもまた、劣化を気にする言い訳半分で脳が怠けているだけのような気もする。仮のルールでもいいから、動いたほうがいいと思う。
 
 
 

篠山紀信さんは、アラーキーさんとかHIROMIXとかホンマさんのように『現代写真論』には出てこないけれども、それだけシンプルなキャッチで誠実な気がする。写真の神が降りてくる時、という言い方がいい。今の自分にはアート的な文脈では「レアな感じ」が心動くなにかという気がする。それが他の分野とも共通するから了解しやすい。「レアな感じ」と「不自然でない感じ」。そっちはリアリティだ。スマホを眺めながら夜道を歩くOLの顔がフォトジェニックでなく、よく大きな八角形でディフューズされた斜め上からの人工光がよっぽど好ましいように、不自然でない感じ。と同時に見せる相手もないのに写真論を読む不自然さに嘔吐!嘔吐!
 
 
 

よほど自分の居場所はなくなってしまったが、それでもインターネット時代だとして、みながアップするので凡庸さに気づきやすいのは幸いなことで、俺が撮ったのと全く同じ写真が「ググると」ざくざく出てくる。だからググっても出てこない写真が俺の写真だと考えると、ひとつのルールかもしれない。
 
 
 

本当に参ってしまったのでカルチャーなんとかクラブへ行って、蒼井そらのDVDを大人借りしてきた。ネットで見ているときの感想は、圧倒的な「和姦感」、カメラ目線力、ナチュラトーク、この手の、少なくともこの手のギョーカイの人としては(たとえば金髪豚軍団みたいな男優さんの芝居などと比較して)圧倒的に知的な感じの話し方、レアな感じ、リアリティ、何度「圧倒的な」というんだという話だが、ともあれ和姦感、が、和姦に縁遠いはてな界唯一の真の非モテの俺の心をくすぐるんじゃないかしらというわけだったのだが、今日見ていてそうではなく、それだけではなく、もっとシンプルに、身体が完璧なんだな、お手本のようなボディ、まるで教科書みたいな乳房、というのもあるんだな、と感想。彼女ならば、「私は秘密捜査官そら、」みたいな役もなんなくこなすんだろう。
 
 
 

それとレンズを振り回せないし遠乗りもままならぬうえに買い物も手控えていたら気がふさぐばかりなのでリクセンカウル化を進めている。あいかわらず自転車モノは数が少なく買ってみないと分からない、なところが多くてつらい。路上に駐輪すること、盗まれること、どんなロックが可能か、を、考えているだけで休日はあっという間に過ぎてしまう。
 
 
 

嫌味はないけど、それは無理の話だ。
 
 
 

 
 
 

20121030t01
 
 
 

芸術新潮 2012年 10月号 [雑誌]

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