祝100万アクセス?

5D2 + EF 35mm F2
ツイッターのリンク先もFlickrにしてしまったし、毎日更新しているのはFlickrTwitterとブクマだけ。という感じながら、ブログアクセスは順調に増え続けて明日にもミリオン達成なんだろう。もうだいぶ書かなくなって長いので、なんとも。
自分の場合デジカメ、基本的に「持ち歩く」ということはない。持ち歩ける大きさというと、自分の場合GRDigital4とか、持ってないけどGRが限界という感じ。PENを持つことはできるけど、ちょっと使う感じにはならない。むしろ、撮るために出かける、ぐらいにならないとPENでは撮らない。αとか5D2もPENと同じ範疇。レンズをつけるカメラを「持ち歩く」という感じにはならない。
カメラバッグは小さいのだけど、5D2で非イベントに出かけるとき、40mmSTMはキャップにしていて解像力も高いので広角側は全部お任せしたい。
「28mmという画角はスナップで使いやすいので」
「35mmという画角はスナップで使いやすいので」
「50mmという画角はスナップで使いやすいので」
というけれど、40mmでなんとかしたい。あと28mmはGRD4がポケットにある。
で、その他として135mmF2を持つ。三脚まで持ち出すような場合、念のため1万円台望遠の70-300mmとか、1万円台超広角の17-35mmとか、どっちか1本を足す感じか。

いろいろ使っているのだが、Flickrにアップしているのは、5D2 + 135mmF2Lか、PEN + 17mmF1.8 が圧倒的に多い。
200mmは遠くて見えない。50mmは近くて間に合わない。目線は135mmあたりを見ているか、50mmあたりを見ていて、50mmあたりを見ていて50mmで撮るのが難しい。50mmあたりを見ていて35mmで撮るのがいい。というか、トリミングを結構するので、それぐらいで帳尻感。
まだクセは見極められないのだが、自分は水平がまったく取れないので、トリムは必須の感じ。
カメラより写真に関心を持つようなライフにはなってなく、仕事がメインの人生をここ何年かしていて収支は黒字だ。仕事をやめて写真を撮りにいく、という感じは今はない。
 
それと、眠れないついでに追記。ひとつは、夜更かしするなり、よほど仕事がヒマなり、仕事ができないなり、そもそも仕事にあぶれていたりしないと、ブログという感じにはならない、みたいな考え方を自分は最近していたように思う。が、その夜更かしをしたところで書くこともないかもしれない。と同時に自分はきちんとした文章のまとまった量のインプットがほぼゼロなので、そうなってしまってなお、なんか書こうとしてあることじたいがジジィのファック的な空しさを思う感じがある。
もう一つ、正社員でなく、他の才能がないことはまともな人間ではないので、正社員になることによってまともな人間になりなさい、みたいな圧力はもう年齢的に不可能に近いので免除されつつも少ないながらあって、そのことになにか迷う選択肢もないから迷わないものの、不快ではある。正社員でなく、他の才能がないことはまともな人間ではないので不快である、というのは理不尽な気もするが、正社員でなく、他の才能がないことはまともな人間ではないので仕事を断る力ができて、逆の局面もありつつ、なにかへんなバランスを取っているのが2013だ。でも自分のしたことにケジメつけてきます ぢゃあいってくるね、と言い残して行く場所もないし、ありがとう。みんなに支えられてて、一人ぢゃないってことがわかった、みたいな知り合いが物理的にない。
空白を買い物(レンズ)で埋める。ドロリッチガールを撮っていても空白を買い物(レンズ)で埋めているおじさんに撮られています、という顔をした、ゴッドタンのときと違う彼女の文字通りのつくり笑顔の奥になにをも読みとるべき発見がないので退屈というのはあり、壇蜜さんを買い物(レンズ)を通して見ていたときには、それとは違って、それとは違う視点というか、説明をしてくれているような感覚があった。あなたは買い物(レンズ)を通してこちらを見ているわけですが」と壇蜜さんは言う。「それは、つまり私が・・・」云々 言葉にするとたいしたことでもないような気もするが、それは竹中平蔵さんが最初に国会答弁に立ったときのような、橋下徹さんが2秒で当選したときのような、ともあれ見てしまう聞いてしまうなにかがある、気がする。少なくもなにか気の効いたことを言おうとしている感、努力、努力はすなわち、相手=こっちへの「敬意」みたいな、サービスか、つまり感情労働ブラック企業感?
写真について、ちょっとすればできそうなこと、でもしない部分、できないからしないのでなくしないからできないと認識するのを避ける感じ、でもそれはかつて経験したあれだよな感、そういうのも、その先に見えるのがどうせ空白なので、買い物(レンズ)で埋めていくしかないのだよな。分からない人には分からんだろうが、俺にはもう来年買うレンズ、とか、さ来年買うカメラ、みたいな「ロードマップ」ができてしまっているのだ。なぜ買うのだろうか。物欲に抵抗する根拠の一つはプリントアウトかもしれない。としまえんのデジタルプリントは出来上がりがいまひとつ(少し自分のモニタで見るよりハイキーに過ぎる感じ)で満足していないのだが、それでもここまで撮れているのに、なおグレートあげる必要ある? のような。