無関心

映画も漫画も小説もドラマもなんにも、もともと見ない読まない興味がない、なのだが、普通の人は興味を持つらしい、ということと俺との齟齬をどうしたらいいのか、いや、どうにもならないんである、というあたりの諦めも自分の人生の諦めの項目に積み増してきちんと自覚しないといけないなぁと思う新年。興味を持てない理由の大部分は自分の知力のなさに因るとは思うが、知力のなさを自覚する、というのも本来は不可能なんであって、ただなんとなく、いろいろ世の中を見ていると、ああいうふうに興味を持てるようになるにはどう生きれば良かったんだろうかなぁと思うばかり。
ああした健常人間の心なりに共感を覚える素地が100%完全無欠にない、ということはないと思うのだが、ともかく面倒で、そんなものを見る気にはならない。
昔、学生の頃には自分が他の人と会話すべきお題をなんにも持たないことを非常に悩み自殺しようか、と日々悶々していたわけだが、いつしかそんなことでは悩まなくなってしまった。仕方ないのだ。生きることはできないのだ。運だけが頼りだ。
Youtubeで面白いなぁと思ったいくつかを50回とか70回とか、何度も何度も繰り返し見ている。ラジオの録音を50回とか70回とか、何度も何度も繰り返し聞いている。年末年始は500回とか700回とか見ていた。老人とはそういう生き物なのかもしれない。俺だけじゃなく。
人との関わりを持てない人生を生きてきた過去でも、人との関わりを持たなくては、という意識のあるうちはまだ、そういうものを頑張って見よう読もう興味を持とうとしていたように思う。
今夜も眠れなかったし、年末や年始に書きかけて書き終えられなかったブログ2本が下記だ。この冒頭同様に全部デタラメだし、ただの気分、後に俺が読み返すこともない、編集も校閲も入っていない記録である。その点でだけ、少しはブログらしくて良いのかもしれない。
 
 
 

年始

昨年のうちに香港旅行のまとめだとか、カメラ機材のまとめだとか、1年の振り返りだとかをブログしようと思ってはいたのだが、結局書きかけているうちに止めてしまった。書いていて楽しくなかったから。ポンコツでありかつ老いた自分への興味もなくなったし、代わりにいくつかの趣味の話に本気になれるほど初心者でもなくなった気がした。初心者なら趣味のあれやこれや思うところを書いて人に読まれる分もあるだろうと思ったが、今はもう少し趣味に対する関心事項も個人的になりすぎてしまって、改めて考える事項・検討事項のようなものではなくなってしまった。さらに、それは俺にとっては当たり前の事項で、他の人にとっては当たり前ではない事項であることが多いと思われたため、共感の得ようもないことをグダグダ書いても仕方がないのだ。人の意見は全く役に立たないことが多いだろうと思ったし、俺の意見も誰の役にも立たないだろうと思った。カメラの話だが。日本人的な、カメラで運動会で子供の写真や動画を撮ると、それをあとで誰かが見るのだ、という宗教(と俺は言うのだが)にハマっている人たちのカメラ談義になんか、まったく俺の趣味とは関係がないと思った。手ブレを補正することになんらかの意味があるという宗教の人と俺の宗教は違うのだし、開放から1段絞ると解像度が上がることが目に見えて分かるぐらいの写真鑑賞方法を習慣とする人と、そうではない俺との間に共通のコードはないのだ、と。画角の狭い絵を得るためには暗くても望遠のレンズのほうが有利だと考える人と俺の思想は違うし、位相差AFよりもコントラストAFのほうが正確である、という宗派の人の意見をどのように読めばいいのかまったく分からなくなってしまったし、オートフォーカスのスピードをレンズではなくカメラの機種名で議論している人を眺めながら俺はウンザリしてしまった感じがある。
さらにひどいことには、俺が共感を覚えたり、面白いと思う記事を見つけるのが難しくなった。英語に手を出してなお、なかなか面白いと思える記事には会わなくなりつつある気がした。ろくに自分で使う機会もない外国語を読む苦痛がそれを加速した。
 
それでも昼夜の逆転した、誰とも会わず、どこにも行かない、9連休を過ごしたあとで、仕事へ行く日を前にこの時間差ボケを矯正するための深夜の時間の暇つぶしにこれを書き始めた。最後まで書いて記事にするのか、途中でやめて記事にするのか、あるいは途中でやめて記事投稿もしないのか、今の時点ではよく分からぬ。
 
2014年の9月まではよく写真を撮っていた。
香港旅行でも撮っていて、帰国してから現在まで3ヶ月以上カメラをまともに触っていない。興味が尽きたのか、よく分からないが、とにかく撮っていない。10月からはスマートフォンを買い換えて通信費を下げる、という活動で暇をつぶした。それはおおかた終わった。SIMフリーiPhone4Sにしたわけだが、べつにその新しいスマホでなにを見るというわけでもない生活であることには気づいた。写真でなくカメラに関心がある人のように、コミュニケーションや情報集めではなくスマートフォンに興味があった。が、今は落ち着いた。
携帯通信費を下げたあと、クレジットカードの見直しにかかった。年会費をゼロにして、かつ、海外旅行中のトラブルに対応できる保険体制の構築をはじめた。これは時間がかかるのでまだ途中だが。その過程で今まで保有・使用してきたカードの永久不滅のポイント残高がそれなりに貯まっていた。そこからポイント還元率なるものに多少興味を持ち、それも有利なものへと転換していった。
具体的には、JACCSカードをメイン、ビックカメラSUICAカードをサブにして、アムダ、エポス、エキサイト、オリコなどを使わずに保有する、かつ生活費の消費を可能な限りクレジットカードで決済する、というよくあるコースだ。しかし写真でなくカメラに関心がある人のように、海外旅行ではなく海外旅行疾病・傷害保険金額に興味があった。
そのあと、証券口座のMRFの利回りが病的に下がっていることに気づいた。金利は史上最安水準にあるのだと気づいた。それで短期定期だとか、中期定期だとかへ切り替え始めた。クレジットカードのポイント効果があまりにも微々たるものであることに気づかされたことが契機で、それならば今の水準でも多少は利回りの良い口座で回すべきではないかと。その過程でATM手数料の改悪された三菱東京UFJ銀行とは別れる方向で考えている。手続きのために何度か支店にも行った。
外貨建MMFで運用するにはタイミングが悪いし資金固定はしたくないし(円貨定期預金よりも長い間その通貨と心中する気じゃないと為替手数料に勝てないし、確率的に為替リスクに俺は絶対に勝てないので)
俺の資金は、まだ30代初期の頃より少ない。あの頃の水準になるまでに最良のシナリオでもあと2年だか3年だかがかかるだろう。ただ、手持ちのお金の総額を直視できなかったここ何年か、ほどはひどくなくなった。だが、気の沈まない金の使い道は思いつかなかった。肺がつぶれるまで自由に好きなだけタバコが吸えるようになったら幸せだろうか? そうでもない。それじゃそれ以外になにに金を使えるというのか。職場で宝くじの話が出たときに、べつに7億なんてもらってもなんにもならんなぁと素で言ったらシンとしてしまったが、俺には金で解決できない不自由が多すぎて、7億円を欲しがれるぐらいの人生の余裕というものがよく理解できなかった。たとえば12月の半ばにアパートの給湯器が壊れてお湯が出なくなってしまっても、7億あれば、ホテルに引っ越せばいいのだ、というような発想はできなかった。俺はクリスマスから正月からずっと銭湯に通った。いつか誰かが修理に来てくれると信じて。
銭湯のせいかどうか分からないが皮膚はそのあたりから悪化して、やまれぬ仕事の用事以外で外出する気力はゼロ台をキープしている。回復したらカメラを持つ気になるのか、カメラを持てるぐらいの皮膚が戻ってきたらシャッターを押す気になれるのかどうかは分からんが、自転車の例から推して、もうカメラも終わりじゃないかなと思う。
 
漠然と、俺ぐらいの年代で、いわゆる普通の、つまり非正規の仕事を持ち、非正規の人生を生きていて、仕事を失って、復帰の目処もない人が、インターネットで生活費を捻出する方法について漠然とぼんやり考えていた。でも、それは人気職種であって、難しいんだろうな、とも思った。世の中には俺以上に身体の自由が利かなくて、病も公務員に認めてもらえず、しかし生きる意志があり、インターネットができる人たちがいるだろう。俺よりもっと切実な人がたくさんいるだろう。勝てる気がしない。
 
 
 

ストラップについて

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM
2014年は前半と後半とで使用カメラが変わった。雪の中で撮るときにはストラップを自作した。頭がギリギリ通るぐらいの長さのストラップをつくって金具で三脚穴に取り付け。胸の前にカメラがぶら下がるようなスタイルが使いやすかった。

5D2 + TAMRON 70-200mm F2.8(A001)

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM

E-PL5 + M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8 + FL-LM1E-PL5 + M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8

E-PL5 + M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8α55 + TAMRON 17-50mm F2.8 + Flash

NEX-5N + ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPH

NEX-5N + ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPH

NEX-5N + ROKINON 12mm F2.0

NEX-5N + TELE-ELMARIT-M 90mm F2.8

NEX-5N + TELE-ELMARIT-M 90mm F2.8

NEX-5N + ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPH

NEX-5N + TELE-ELMARIT-M 90mm F2.8

DSC-RX100

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM


α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM
 
 
 

香港

α55 + SIGMA 85mm F1.4 HSM
僕は四十歳で、そのときボーイング737のシートに座っていた。その小型の飛行機は分厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、明け方の香港国際空港に着陸しようとしていた。機長が広東語訛りの英語で現地の時刻、天気、気温、その他諸々のアナウンスをすると、紫色の制服を着たキャビン・アテンダントがシートを起こしてシートベルトを締めるようにと指示をしに回ってきた。機体がかすかに右に傾いたまま着地し、スピードを落としはじめると、気の早い乗客がシートベルトをはずす音がカチャカチャとあちらこちらから聞こえた。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。ポケットから4世代前のスマートフォンを取り出して機内モードをオフにすると、ブルブルと震えてすぐに海外ローミングの設定方法を説明するショートメッセージが届いた。やれやれ、また香港か、と僕は思った。
 
 
 
DSC-RX100
飛行機を降りて入国審査を受ける前に喫煙所に入ると、空港職員らしき男女数名と、乗客らしき男1人がタバコをふかしながらTVBニュースをぼんやりと見ていた。俺も「MEVIUS」と印字されたメンソールタバコに火をつけて、ぼんやりと見ていた。デモ隊の一部が政府敷地に入り込もうとするのに対抗して、警察が催涙ガス、胡椒スプレーを使用している様子が写っていた。深夜の広い道路が黒いTシャツに黄色いリボンをつけた学生と水色のシャツを着た警官隊で溢れ返っていた。どこかの国の少し"やりすぎ"な感じのする祭りのVTRを見ているようだった。それを取材する各局のテレビカメラクルーの様子も写っていた。この6時間後には、DigitalRevスタッフがFUJI X100Tのカメラのハンズオンレビュー(Youtube)を撮影する様子も写っていた。もちろん俺は離陸直前の関西国際空港でこの騒動のニュースを知った。飛行機の到着が遅れたことと、乗り込んだあとであなたはこの飛行機に乗ることはできないから降りてください、いや降りない、と英語+中国語で問答している客が1人いて、俺は仕事があるんだ、みんな仕事があります、あなたに降りてもらうことが私の仕事です、いや俺は絶対に降りない、分かりました機長を呼んできます、などとやり合って出発が2時間近く遅れたこととそれが関係があったのかどうかは知らない。とにかく最初の警官と学生・民主派の衝突が起きたときに俺はもう休暇を取って最低限の着替えとカメラとレンズをカバンに詰め込み、手持ちの最新パスポートを忘れずに携帯し、関西国際空港の出国審査を済ませていたのだ。
 
 
 
NEX-5N + ROKINON 12mm F2.0
日本から持ち込んだSOFTBANKアイホンをそのまま割高な海外ローミングで使う気はなかったが、外国用の機器をレンタルで準備しているわけでもなかった。俺はまだSIMフリーの携帯機器を持っていなかったので、現地で買って、それをそのままに日本に持ち帰ってからも使えばいいやと思っていた。現地用のSIMカードはどこで売っているのか探したが、そのような店は空港内のどこにも見つからなかった。旅行ガイドのようなものを一切持たないで外国へ来たのは初めてだった。どこでなにを買い、どうやって街まで行けばいいのか分からなかった。分かるのは、外国人向けみたいな高い空港エクスプレスの切符売り場だけだった。中心部まで1500円も払ってそれに乗る気はなかった。無料バスか、有料でも普通のバスと電車を乗り継いで行こうと思っていた。羽田空港から首都横浜へ行くのと、さほど変わらん距離だろう。
まずは窓口の開いていた両替所に16,000円を差し入れて「ホンコン・ドラー」と言った。サインをし、表示されている0.0678倍、1,084香港ドル+80セントが出てきた。
次に香港MTRの窓口へ行って、「オクトパス」と言った。通じなかった。「オクトパス・カード」とアクセントを変えて言ってみた・・・ら、通じた。150香港ドル。2200円。SUICAの元祖、世界発のプリペイドIC乗車カードだ。
セブンイレブンで水を買った。水をレジに置いて、オクトパスをピピッとかざした。7香港ドル・・・103円。
そして、それからどうすればいいのかを知るためにWi-Fiのつながる場所を探し求めて空港内をウロウロした。1Fの一番広い場所で電波を見つけた。そこで、アイホンからネット検索をして、東涌站までバスで3.5HK$(52円)、さらにMTRに乗って、香港站までは17.5HK$(258円)ということが分かった。
 
 
 
旅の目的は3つあった。香港は2度目だった。