南京の基督語録

結婚については、いやぁ金ないし、みたいなことを(つまりは結婚して子供一人育てるのに4000万円みたいな意味で)言ったらなつみちゃん、意味が分からない、お金と、結婚、なんの関係があるの?と真顔で尋ねてくる。あのね、そのまっすぐな娼婦の瞳でこっちを見ないで、みたいにひるみつつ、う、あぁ、その、と言い淀むと彼女、だって結婚で大事なのはずっと一緒にいたいと思えるかどうかでしょ?と。なんだこのみのもんた!とか思いつつリアルは、はてなのように緩くないので、とはいえ、この部屋、自分家と同じ間取りのためか妙に落ち着くしまだ時間はあるので、じっくりと話したいなという思いがぼんやりと膨らみつつはじける。バブル、みたいに。部屋の隅の音の消えたテレビではネプチューンがクイズに答えている。

普通にカウンセリングに通っていると(実際、通っているのだ。睡眠薬をたくさんもらっているが少しずつ飲む気はさらさらない)、思いのほか、自分でどれだけ喋り続けても、本質に切り込むということがなかなかない、まだ浅いからかもだけど、しかしこうして、結婚とお金と何の関係があるのですか?という問いに対して、どう答えて良いのか、ああ、それって日本人のコモンセンスに属することだから日本人じゃない人からそうやって問われると、ぜんぜん、素で、答えがないや、あのさ、モテの人は知らないけど、ずっと一緒にいたいかどうかではなくて、日本人の女性は、割り勘にするのかおごってくれるのか、どのぐらいの確率でおごってくれるのか、年収はいくらか、家族構成は、タバコは、そういうので判定されるんですよ、と思いつつNHKで見た上海の女子たちの本音、みたいなのに思い当たり、なんだよ、これも商売用ピロートークかよ、と失望したり、そんなぐるぐるの中で言葉を失い、沈黙しているのに、彼女はぜんぜん平気でまっすぐこちらを見ていた。

金じゃないのは知ってる。俺だって、俺だって、金だけでいいなら、人並みに、という道もある。けど、どうやら34歳にもなると、これ以上、お金に執着する気も起きなくて、これすなわち、なくなってみてからありがたみが分かるバカと一緒なのかもしれないし、違うのかもしれないけど、自己弁護する方法がもう、どうせ自殺するんだし、というぐらいしか思いつかない。みのもんたみたいなのが来たら捨て台詞もあるし。「あなたとは違うんです