シークレット・ブーツ

自転車漕ぎつつも電車で帰宅するのは、宿代より安いから、というだけでなく、すいてる電車が読書に最適、という自分の体質からも来ているのだけど、ただでさえのろい読書に加えて、pomeraで傍線引いてる(←比喩として)時間が長くて、ぜんぜん進まないと言えば進まない。

  • 一流の教師が、「不人気」の場合が少なくないのは事実だ。けれども、人気は、教師としての影響力とは何の関係もない。学生が、「あの先生からいろいろなことを学んでいます」と言っているとしたら、その言葉は掛値なしに信用できる。
  • 学校こそ最良の学校だ
  • 人を教えられるか否かは、技能や実地訓練の有無によるのではない。人格の有無によるのである。
  • 要するに学生たちは、彼の言ったり、したりしたことにではなく、彼から、言ったり、したりするよう仕向けられたことに感激したのだ。
  • 教師には二種類ある。天賦の才を有する「教師」と、学習を計画的なものにする方法を心得ている「教育学者」である。

『傍観者の時代』『ミス・エルザとミス・ゾフィー』P.F.ドラッカー

読書についての最初の自分の、その契機が把握できていないという意味では自分オリジナルの、意義らしきものは、つまり、本は有料であるから、対価として有意義なものが得られうるということ、それに引き換え、リアルでトークしているときの情報というものは、まぁ、これを考えていたのは高校生の頃なんだけど、無料であるがゆえに、あんまり有意義な感じがしない、というもので、それはもう一つ、これは大学に入ってから強く意識するようになったことだけども、その原因は自分が魅力のない凡庸ないし凡庸以下のつまらぬ人物であり、だからリアルでトークしても有意義なものがえられないのだし、というか有意義なお話に接する機会が得られないのだし、そのかわりに本は、読書は、読み手を選ぶことがないのだから(と、当時は考えていた)、対価を支払って、読むことで、自分が成長できるものなのだ、というところにあった。

  • 大部分の人が、フロイトにまつわる三つの「事実」を疑いもせずに受け入れている。第一は、生涯を通じて彼が金に困り、貧乏に近い生活をしていたという「事実」、第二は、彼が反ユダヤ主義者から多大の迫害を受け、ユダヤ人なるがゆえに正当に評価されなかったし、大学の然るべき地位に就けなかったという「事実」、第三は、当時のウィーンの人たちが、とりわけ医学関係者が、フロイトを無視していたという「事実」である。
  • フロイトは自ら、それらのつくり話を信じ込んでいたのである。(中略)そうすることによって、この誇り高い、自己を律するに厳しい、孤高の人物は自己の不安を取り除いていたのである。
  • フロイトは、慈善救済患者を受けつけなかったばかりか、精神分析医は無料で患者を治療すべきではない、いや、患者に治療代をたっぷり払わせない限り、治療の効果はあがらないとさえ教えた
  • フロイト自身は、彼の理論が「科学」ではなく「詩」であることをそれとなく仄めかされただけでも深く傷ついた。
  • 彼の案出した用語は――「肛門(アナル)」や「口唇(オーラル)」にせよ、「自我(エゴ)」や「超自我(スーパーエゴ)」にせよ――、偉大な詩的想像力の産物である。
  • フロイトの著作の中で常に変わらぬテーマは性的不安であり、性的欲求不満である。ところが、フロイトの著作には、十九世紀のウィーンの――いやそれどころか十九世紀末のヨーロッパの――他のどの記録でも重視されているものが完全に欠落している――金銭神経症である。実のところ、フロイト時代のウィーンで抑圧されていたのは、性ではなく、金銭だった。当時のウィーンでは、金は次第に、〔生活全般を〕支配するようになっていた――反面、次第に、話題にするのを憚られるものにもなっていた。十九世紀の初めには、たとえばジェーン・オースティンの小説では、金は大っぴらに扱われていた――事実、女史はほとんど真っ先に、各人の年収は何ポンドであるかを読者に知らせている。ところが、フロイトが成人生活に踏み出したその七十五年後には、小説の登場人物は、目の色を変えて金と富を手に入れようとしていながら金を話題にするのをぴったり止めてしまった。ディケンズはまだ大っぴらに金の話をしている――性や、不義の子や不貞や、悪徳の巣や若い女を売春婦としてしつける話などと同様に。

(中略)
 フロイト時代のウィーンでは、卑しからぬ家庭の親は、収入のことを子供とあれこれ話さなかった――慎重に配慮して話題にするのを避けた。が、金は、親にとっても子供にとっても関心の的になっていた。これは、知っての通り、急激な経済成長を遂げているどの社会でも起こる現象である。
(中略)
これは一般に「〔生活保護者を収容する〕公立救貧院神経症と呼ばれて、私の幼少時代の旧中産階級の間ではごくありふれた強迫観念になっていた(若い世代でこの神経症に罹る者は少なかった――というのは、その頃にはすでにオーストリアの経済発展が終わっていた、というよりはオーストリア経済が収縮過程に入っていて、若い世代が貧乏になることを怖がらなくなっていたからだ――すでに貧乏になっていたのである)。「公立救貧院神経症」は、そのうちに貧乏になるのではないかという絶えざる恐怖、稼ぎが不十分なのではないか、言いかえると、自分と自分の家族――と、それから隣人――の高まる社会的期待に収入が追いつかないのではないかという絶えざる不安、そしてとりわけ、金には興味がないと称しながらまるで憑かれたよう絶えず金を話題にする習慣、となって表面化するのが通例だった。

  • 彼は、息を引き取るその瞬間まで、精神分析は「科学であると確信していた――心の働きは、合理的、科学的用語で、化学や電気現象の用語で、物理の法則の用語で説明できるはずだと確信していた。フロイト精神分析は、科学的理性と非合理的な内部体験という二つの世界、この二つの世界を一つの統合体にまとめようとする偉大な努力であった。この統合の試みは、精神分析を極めて重要なものにする一方で脆弱なものにした。この試みは、精神分析にそれなりの影響力を付与した。この試みは、精神分析を時宜に適ったものにした。西方世界に重大な影響を及ぼした十九世紀のシステム――マルクスフロイトケインズ――はいずれも、科学的なものと不可思議なものとの統合、論理と経験的研究の重視を共通の要素として保有し、「合理的ならざる故に我信ず」という態度を生み出したのである。

『傍観者の時代』『フロイトの神話と現実』P.F.ドラッカー

しかしそれは同時に、自分が得ようとしているものは、自分には身分不相応な、決して吸収しようのない世界なのであり、結果的には、あまりにも村上春樹ファン的な、つまりナボコフが講義したような、すぐれた登場人物にすぐれていない自分を投影して優越にひたる悪趣味以外のなにものでもなく、有料であることは、ただ単に、その快楽の対価でしかなく、つまりは読書なんてソープと変わらんのだ、という考え方にまで進み、なんとなく嫌気がさして、というよりもっと直接的には働くようになって「忙しい」ゆえに、読まなくなって、今に至る感じかしらという気がする。たとえば、あのフロイトが、精神分析の非科学的なことにひどく悩んでいたとして、それが自分の抗うつ剤拒否の姿勢と類似するとかしないとか、そんなことを考えて、それでなんだというのか?

  • 「まだ若すぎて君には判らないのじゃないかと思うが、戦争が僕たちに加えた最大の打撃は、それが今とは違う世界を実現する唯一の希望を打ち砕いてしまったことではない。そうではなくて、ヨーロッパを救うことができる人たちを殺してしまったことなのだ。
  • 社会主義は、一九一四年八月に起こった砲声と共に、社会主義大衆がプロレタリアートとして団結することを拒否し、そのかわりにナショナリズムと兄弟殺しの戦争を熱烈に支持した時に、死滅した
  • 二十代の初期に、私はさる大新聞の幹部編集者の職にあった――有能だったからではない、要するに私より一回り上の世代がいなかったからだ。二十代の私の周辺に、三十代の者は一人もいなかった――その人たちはフランダースとウェルダンの、ロシアとイーゾンツォの士官共同墓地で眠っていたのだ。しかも辛うじて生き残った三十代は、生涯取り返しのつかぬ不具になるケースが少なくなかった――運が良ければ肉体だけの不具に、が、大抵は精神的な不具にも。

『傍観者の時代』『トラウン=トラウネック伯爵と女優マリア・ミラー』P.F.ドラッカー

カウンセリングの場で、自分が現在精神的な拠り所にしているものが結局は人づきあいではなく読書であり、もっと具体的に言うとエンゾとかドラッカーであり、さらに具体的には(そこまで喋れないけど、ようするにナボコフの指摘であり)そんなことでは社会復帰するうえでのステップにはなりえないのじゃないかという不安を喋りつつ、結局はここでも、あまりにも安いカウンセリング料のことを考えたり、ともあれ話していることが通じているのかいないのかよく分からん若い女性のカウンセラーに対する不信感があり、ああ俺の時間は止まっているな、と思い悩む現実から逃げるために、脚力を鍛えなければ・・・ということなわけだ。

  • 彼はすでに、ブラジルに未来の社会としての期待をかけてはいなかった。「ブラジルもいずれ日本と同じ道を辿り、西欧ではないのに西欧化し、文化的にはマイアミの郊外と化すだろう」と語っていた。
  • カルルの考えでは、良き社会は市場を、商品の交換と資本の配分のために使うべきであり、土地と労働の配分のために使ってはならない。土地と労働の分配は、互恵もしくは再配分を通じて、言いかえると、経済合理性ではなく社会、政治合理性に則って、実施されなければならない。良き社会は市場をそれ自体の外部に持つべきだというのが、まさに『大転換』の主張だったのである。市場は、外国貿易、遠隔地貿易には適した統合原則である。だが社会とその中の人間関係は、市場の破壊力から守られねばならないのである。カルルのこのような近代史の書換えを受け入れるにせよ受け入れないにせよ――ついでに言うと、社会学者は概して受け入れ、経済学者は概して受け入れないが――彼は若き日のマルクス以後、「生計」(つまり経済)と「生活」(つまり社会)との関係について問題を提起した数少ない学者の一人であった。

『傍観者の時代』『ポラニ家の人々』P.F.ドラッカー

この本は、http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090320/1237546685を読んだときに意識の隅に残っていたところ、たまたまブックオフで見つけたので読んでいるのだけれど、そして面白いとは思うのだけど、読んでいるとき、それをpomeraしているとき、こうして日記にペーストして再読するとき、という段階を経て、ナボコフのいわゆる自己投影、背伸びして夢見る構図であることの自覚が強くなるので、とてもゲンナリしてしまう。

  • 彼女は政治には無関心だったようだ。けれども、彼女ははっきりした価値観と好みの持主だったので、夫のナチスの友人を毛嫌いしていた。そして彼女の息子のフリッツは彼女以上にナチスを嫌い、自分の父親を、信条のない出世主義者として軽蔑して可能な限り父親から遠ざかっていた。超国家主義者とナチスは、クレーマーにとって、自らの劣悪さに対する腹立ちとよりすぐれた者に対する羨望を行動の動機としている人間の屑、プロレタリアのごろつきであり、そのジャコバン的無法さを国家主義的、似非保守主義的言辞で隠蔽しようとしているだけになおさら軽蔑すべき存在であった。
  • 私たちは、お互いの答えが喰い違っていることを直感した。問いはしかし、同じであることがすぐに判った。そして二人とも、まだごく若かったけれども、問題は答えではなく問いであることに気づいていた。だから、私たちはお互いに相手を叩き台として利用し、自分を相手にぶつけては否応なしに自分がどんな人間であるかを規定した。クレーマーの私に対する最大の貢献は、私が政治的に一匹狼であることを私に納得させ、私の関心の対象が――まさしく彼のそれと違っているが故に――何であるかを私に認識させたことだ。逆にその点で、私も彼の役に立ったのではないか、と思う。私たちは――お互いに敬意を払っていたし、もちろん嫌いではなかったが――知的な関係にあった。だから、唯の一度も「どう思う?」と訊ねたことはなかった――相手に対する問いはつねに、「どう考える?」だったのである。
  • 真の指導者は「カリスマ」で導くわけではない――たとえそれが宣伝係のでっち上げでなくとも、カリスマなど甚だうさんくさいものであり、いかがわしいものである。真に力のある指導者は、勤勉と献身によって導く。彼はすべてを掌握しようとはせずに、チームをつくる。彼は、手練手管で支配せずに誠意で支配する。真の指導者は利口ではなく、純粋で誠実である。

『傍観者の時代』『キッシンジャーをつくり出した男』P.F.ドラッカー

でもそれを言ったら、読書に、ブログに、人生に、お金なり時間なりを使うとして、その対価として得るべきものは、いったいなんなんだろうか?とも思う。