鬼と仏

娑婆に出て、ああ時間の流れが違うわ、と思った。

  • 医→自分も同じ病を云々 ですね、わかります、そして私としてなんの感慨もなかった。
  • 人→ふつうに事務的。事務的にはいろいろ知らなかったことを知った。
  • 鬼→伝えようとしてくるのが分かる。場が場なので迂回しているが。個人的なあてつけと取るべきかは不明だが、いぜれにせよ俺はこの人といたら気が狂うわ、とは思った。
  • 仏→好対照なのと、鬼の言葉をユーモアで否定するところ。人格者は[「性格がいい」といわれる人]とは別物。人格者を「性格がいい」と定義するならば、その人は出世しないほうが嘘、みたいにそのときは思った。

 
いぜれにせよ俺はこの人といたら気が狂うわ、とは思った。
 
具体的にはこのことがなかったら有給を取っていたという事実の提示と、俺の現行不一致の適切な指摘。仏は仏で気がつくことについてそれを打ち消してまわって笑いに昇華させていた。
役職で仏のが上とはいえ、実務を回している実務実力者は鬼。では、トータルで鬼が偉くて仏が利権オヤジなのか、というと、そういうことではないのだろうなと思いつつ、身の振り方、もう少し、自分を直視する時期にはきている。ひねもす寝転がっていても手取り33万とか入っている。なにがどうなってそうなのかよく分からないが保険など立替分もあるだろう。
自分では見えないものについて、たとえば、別の人が見えていないなぁと思って、卑近な例がまずいので、やや卑近な例でいうと、FXと情報商材とギャンブルにハマって通算成績を押さえていない人や株で通算成績がマイナスの人を見ていて、あのさ、と思ってメッセージしても彼は彼が自分で気づくまでは直らないのだ、と絶望した経緯とか、いやこうしてパラサイトしているのは実はどうしても自分が親の介護をしなきゃならない事情でして的なことを言っていた人がある日とつぜん親元をはなれました、などとのほほん生活を語りだして親の介護の話にいっさい触れない云々の例が後を絶たない現行不一致病の問題など、をアナロジーして逆の立場に自分を置いて、自分が自分で見えていないものをおそらく見えていた人からの言葉を思い出しつつ回想すると、こうして仕事を辞めていたら・・・・・・二つのことを彼は言った。

  1. ほかへ行っても同じことの繰り返しだよ
  2. ほかの仕事をしたって同じことだよ

実際にこれを言われた当初俺は喫茶店のガラスカップのコーヒーを震える手でもちながら、つまりテーブルにボタボタと垂らしつつもなにかモゴモゴ言ったと思うがそれを俺は記憶していなくて彼は記憶している。記憶力の問題ではなく、脳の、心理学の、リアクションとして、舌の運動として、俺の身体の生理的反応に近いような、不随意筋の運動結果であって内容に意味のない内容なので、しかし彼にとっては典型的な逃げ口上ライブラリに「まともや」該当するという事実を再確認しているのだからよく記憶されているわけだ。
いずれにせよ前者は証明された。後者は、ああ考えるだに恐ろしいことだな、でも彼のいうことはx先生の言うことと同じぐらい正しいと思うのだよな。。。
それで、「まっとうな理屈の通じない女性と良好な関係を築く方法」的な考え方を縮小して自分個人ひとりに適用すると、
 
 
 
あああ。
 
壁と卵じゃないけど、そうだといわれても、実際に自分の目で見たものしか信じないのです、てことかな。
戻るとなると、遠く学生時代までさかのぼって、リ○ルートのTさんがお別れの寄せ書きに書いてくれたように(そう、彼らはお別れの寄せ書きにだって、自分の本心をどこかにひそませておかないと気が済まないのだし、それは正しいし、俺にもそういうところがあるし、エズミに捧ぐの冒頭だってそれだ)、俺の人生は矛盾だらけ。でも、のんきな恋愛賛美のフランス小説が比喩したように、ある日突然、それは二人の(今回は一人の、だが)未来に灯りを点してこれからの歩みを確かなものにしてくれるだけでなく、振り返って過去をも照らし、これまでの苦悩と矛盾に満ちた生き様が、あたかも二人の(今回は一人の、なんだが)今をかたちづくるための首尾一貫した歩みそのものであったことを示してくれるのだ、的な方向を、すくなくとも希望的観測の中に見出すようにでなければ、進むことはできないのだ。
だからそうするかもしれない。
あと、30から35までで、身近でたくさんの人が死にすぎた。どう見ても勝ち組です、の人まで自殺した。