旅の記録の方法 MarkIII
奮起してつけ始めた体重および体脂肪率の記録も20日弱で途切れてしまった。朝は痛くて体重計の上に乗れないくらいの皮膚状態だからだが、それだけでもなく、これ以上太らない程度にではなく痩せていく方向に食事量を減らして胃の承認欲求を小さくしていく試みも挫折しかかっているすなわち金曜につけ麺会合に出て食いすぎたし昼にはポテトチップスやソフトサラダを食べながら仕事をしていた。
もう読書はいっさいできなくなってしまったし、もともと読書ができたかというとできない。読んでいるふりをしていた時期があっただけのことで、読書ができないということはもう、絶望しかない。本を読むという希望を持ちようがないのだ。
はてブロの日付の横の32文字スペースにはactivecute先生のを真似て誰かの言葉を入れていった。それは旅の記録を毎日一タイトルだけ決めてつけて本文は省略することで旅の時間を確保しつつ記録するという遠い太鼓に書いてあったものを実践していたものの変形のようにも見えたが、かつては自分で決めて書いたいたのを誰かの言葉で埋めることに変えたと言うこともでき、しかしそれは記録としてはわりと価値があるのかないのかよく分からないものになった。
コメント欄には返信を書くのに気がすすまなかったり言葉が出てこなかったり出てきても壮絶な日本語ラップ(dis)になってしまったりで運用が難しく、ツイッターでふぁぼるなりリツイートすればリムーブされるしはてなスターは消えないのでブロックはされないにせよ迷惑には違いあるまいと思うと、32文字で切り出して並べておくのが一番楽だった。自分のようにリアルの生活では全く承認欲求が満たされないしコンビニでも売ってないのでブログをやっているようなクズにとってはコミュニケーションを促進するためのツールたちは必要なものでありありがたいことだと思いつつもそれははた迷惑の裏返しかもしれないのだと思えば、距離をもう少し遠くめに取る方法としてこれはべんりと感じていた。正確にコピペしておけばグーグルでいつでもたどり着けるのだからタグの管理などいらないのも良かったし、ものの片付け場所を決めるという意味では「いつ頃の」というインデックスに勝るものはないという事実も良かった。
今では非モテの原因というか構図はよく分かって、スラム生まれではなくきちんとそれなりの日本語教育を受けた僕らはつきあうことで相手を期間はともあれ今よりもしあわせにしてあげられるかについて考えていたのだし、誰もつきあわない場合と比較して僕をよりしあわせにしてあげられるかもしくは今と同レベルにとどまらせてあげられるかを考えた結果あたしには無理ですわと言ってみんな電話に出なくなりメールに返事を寄こさなくなったのだということが分かる。それを隠すことのできる期間のことを持久力と呼ぶならば俺には持久力も全然なかったという話だ。
前と今とどちらも最初の部下というかの存在に助けられた場合にだけ3ヶ月を越えて生き残っていると思う。このあいだ自分がもう一人のたぶん優秀だろうと思っていた人が「クビ」になった。もちろん別の力関係もあるから分からないが俺のどういうかによって今の、もうそれできないならやんなくていいしいちいち同じこと何回も確認してくるけどそれって丁寧なんじゃなくて仕事に責任を持つとか当事者意識を持とうという意識ゼロであることの表明であってむしろ失礼なんじゃないの分からないのとか言わずにもうすべてどうでもいいから土日だけ葛西に出てきてポートレート撮らせろみたいな子をクビにしてしまうかもしれない。
俺みたいなポンコツは責任を取って人生を辞任すればいいのだしポンコツでない人が生き残って世の中を動かしていく、そういうフェイズに突入した日本で、ポンコツとしてポンコツでない人に対する態度の持ち方を未だに決められないでいる。死ね!水素爆発しろ!みたいな気分を素直に思えれば自己が調和してお花畑の人生を生きられるような気もするし、そうはいえどもにそれなりに日本語の教育を受けてしまったから人を嫌いになろうにも難しい部分もある。洗脳されている。俺がポンコツなのはすべて俺のせいであって他人のせいではないし責任は俺にあるのだと教育されたからなのかもともと俺がそこだけきちんと理解できる理性があったからなのか知らないけどそれは分かる。
いろいろ考えても無駄だし、今は土曜日や日曜日をありがたくごろごろと寝過ごして、月曜からのお仕事に静かに没頭できるときまでが待ち遠しいとでも思ってやりすごし、余った時間は何度でも、朝まで生テレビの録画を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し何度でも見て時間をつぶせばよいと思う。