下北沢へ、大沢センセイのサイン会に行く
写真家としての照沼ファリーザ先生の活動の経緯はよく知らないのだが、AV女優としての大沢佑香先生のファンであることはブクマ履歴の示す通りであって、自分がブクマタグで人名固有名詞を使うケースは数えるほどしかないのだが、その一人だったわけで云々。
それから自分がデジタル一眼カメラのようなものを使うようになって、はじめの1年は主に被写界深度だの焦点距離だの撮像素子だのレンズ解像度だの云々を、それから2年目3年目になってだんだん光のことに関心が向かうのだけど、その観点から、それなりに光を頑張るプロやアマチュアの写真家の写真をなにらかの理由をつけてじっくり見る機会は欲しかったので、写真集を買えばサインももらえるし、なんか手作りのプレゼントももらえるというのだから、日時をあらかじめチェックして、その日の夜の打ち合わせは断固として拒絶し、いそいそと下北沢へ向かったわけだ。
本や写真集を買って直筆のサインをもらうのは3回目。基本的に[人生をかけている]感じの人のサインはもらいたいと思うけど、一番最初は小説家の高橋源一郎で、30歳近くまでいろいろと肉体労働をして[人生をかけている]と思ったのでサインをもらってサイン入りの本を読んだところ、すばらしい過去作と比較して大変つまらないと思い、酷評を書いて文学仲間にFAXで送り、相手は面白かったと言ったので絶交したりとか、いろいろ若かったしブックオフに売り飛ばした。二番目はついこないだ。こちらこそ[人生をかけている]戦場カメラマンの宮嶋茂樹さんだが、写真集単体として見ると、以前の記事にもツイッター時代の鉄ヲタ中学生のほうが進んでいる話をしたように、戦争写真だって一般人が撮ったものまで含めてインターネットにまとめあげられて厳選されたものに個人写真家はなかなか勝てないのではないかな、と思ったりはした。カメラはもう、みんな持っているのだ。
照沼「もともとは仕事としてではなく、超個人的に始めたものだったので、他者を巻き込んで、という発想は最初からなかったです。自分の中で、しっかりとイメージが固まってから撮るタイプなので、衣装にしても、小道具にしても、メイクにしても、光の感じとかにしても、自分の中のイメージを壊したくなかった、というのもあります。自分で撮りたい写真を撮っている時に、人に見られるのも恥ずかしいし、集中できなそうですし。野外でヌード撮影をするときには、見張りぐらいほしいな〜とか思ったことはありましたが(笑)」
http://www.menscyzo.com/2012/01/post_3360.html
サイン会の参加資格は先着100名、ヴィレッジヴァンガード下北沢店で写真集を購入した人に順番に整理券を配るというもの。当日前に100冊売れてしまえば終了なのと、ヴィレッジヴァンガードがなんのお店なのかを知らないこと、それから下北沢のようなけまらしい感じの町には高校時代以来行っていないことなどもあり、あらかじめ先に整理券だけもらっておくべきだろうかとも思ったのだが、そこまで俺も暇な感じでもなく、当日夜、久しぶりに渋谷で井の頭線に乗り換えて岡本太郎の「明日の神話」の右下のモクモク原発の落書きを消すために取り付けられた三角のパネルなどをいまさら確認し、下北沢駅へ。ああ、このできそこないみたいな駅の迷路のような乗換え口は今も変わっていないのだなぁと思いつつ駅の外へ出たのだが、どちらがなにだかまったく分からなかった。最後に本多劇場に来たのはいつだったっけ?
照沼「私個人としては男性の草食化とかはあまり感じないです。感じるとしたら女の子ですね。やっぱり恥じらいがない人が多いと思う。実は私、最近AVプロフダクションをやってるんですけど、女の子の面接とかもするんですよ。で、やっぱり女の子は仕事になれるまでは脱ぐ事に抵抗があるんですね。ただ、そこには二通りの理由があって。一つはただカラダに自信がないとか、胸が無いとかの劣等感があるからで、そういう人はダイエットしたり、整形したりで綺麗になれれば脱げるんですよね。体を褒められたりあるいは他の人がやってたりすると、「じゃあ平気」みたいになるんです。
照沼「で、もう一つの理由が、そういう淫らな姿は恥なんだって意識。私何やっちゃってるんだろう、、みたいな。これって当たり前の様でやっぱりセンスで、何を可愛いかって思うのかがそれぞれなように、恥に対するセンスもあると思う。最初は思っても、周りや社会に持ち上げられちゃうと、恥ずかしい姿で、恥ずかしい事を表現してるっていうセンスを忘れてしまう。AV女優さんでも、そういうセンスがいつまでも有る人はやっぱり内容が上手いし、魅力的って思う。」
http://vobo.jp/fareeza2.html
店はなかなか見つからなかった。地図の読めない男。ただ時間に余裕があったし、ひさしぶりのけまらしい下北沢の商店街を徘徊しつつ歩くこと10数分、ようやくその店舗を見つけた。彼女のブログのコメント欄の誰かが書いていたように、ドン・キホーテみたいな所狭しと山盛り陳列するスタイルの雑貨屋さんにサブカル感をプラスした感じで写真集とか書籍の扱いが多い店だった。その店内に、件の写真集を置いている場所を見つけるのにまた時間がかかった。俺には店員さんに声をかけて、「照沼ファリーザさんの写真集『食欲と性欲』はどこですか?」とたずねる勇気があまりなかった。
大沢祐香・・・自分勝手。かなりの気分屋。撮影前は部屋に引きこもるし、メイクは自分でやらないと気がすまない。服も自分で用意したのじゃないと着ない。プロ意識だか知らないけど、制作から見れば迷惑wwww
元AV関係者だけど質問ある? - 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
それでも全体として狭くはないのだが通路がひたすら狭い店舗内をぐるぐるまわってどうにか見つけた。その陳列スペースを写真に撮っている写真ブロガーのオッサンがどいてから俺も写真ブログのために撮った。E-P1は出せず、アイホン4で。19:00、写真集をレジに持って行き、開始90分前で71番の整理券をもらった。まだ時間があるので近くのすいているファーストキッチンの喫煙スペースへ行き、アイホンでブクマをしたりして時間をつぶした。「これって当たり前の様でやっぱりセンスで」というあたりがじわじわきていた。顔と身体が綺麗でプレイがハードで4日に1本ペースで新作が出ていて男子に夢を見させるのが仕事の人の、それもほとんど長くは続けられないほんのつかの間の仕事の人の、アート、というあたりで俺が動いた事実が面倒だった。下北沢の雰囲気が嫌だった。セックス指南の情報商材を売っていた。俺はアイホンでブクマをしたりしていた。自分が当たり前のように感じる好感なり嫌悪感なりを他の人が同じようには感じていない姿や、自分が当たり前のように感じる好感なり嫌悪感なりを他の人が同じように感じている姿をブクマで見ていた。「これって当たり前の様でやっぱりセンスで」というときのセンスは良い意味を含んでいるように響くのが読み手にどう受け取らせるかを思うとき、下北沢の雰囲気がすごく嫌だった。しかしなにが他の、わざわざサイン会に行ったりしない対象と違うか、なにによって結局動くところまでいくか、を自分なりに考えていた。やはり顔だろうとまず思った。それから筋肉バスターの写真だった。「これって当たり前の様でやっぱりセンスで」という弱い言葉と下北沢の雰囲気が嫌だったが、筋肉バスターの写真があるから仕方ないというか、むしろ強い言葉になっているように思えた。
もともと大沢佑香に強く関心を持った契機は2つで、ハッキリしていた。1つは裏物作品の中で男優の黒ブリーフの中に手を突っ込んだ彼女が「わぁ、カリがデカーい」と言ったところ。AVにおける台詞は、とくに裏における台詞は、棒読みを越えた棒読みの世界なのであって本当に製作者はその方面でセンスがなさすぎるのではないかと思いつつも見てしまうのだが、「わぁ、カリがデカーい」と言われた男優は一瞬脱力し、追い討ちをかけるように「すごいカリがデカい」とマジ批評する彼女、「カ・・・カリって・・・」とひるむ男優に対して「すごく気持ちよさそうな
私もGEISAI行きました。大沢佑香さんの写真には、それぞれタイトルと観客が自由に考えられるストーリーがありましたよ!!
彼女の作品は彼女自身も入れた作品でした。人が沢山いたので、皆が写真のタイトルまで見れなかったとは思いますが・・・。
あと、GEISAIでは、ブース全体が審査の対象だという事で、彼女は座っていたんだそうです。
http://d.hatena.ne.jp/hattyobori/20090308/1236523181
20:00。ファーストキッチンの喫煙席で、俺は写真集『食欲と性欲』のビニールを破ってパラパラと見た。GEISAIに展示していた写真だ。作品は自分ひとりで撮っている、ブログのスナップ的な写真は妹に撮ってもらっている、というのが文字通りそうなのだとしたら、そんなに次から次へとたくさんの作品は撮れないのだろう。みなネットのどこかで見たことのある写真が多かった。そして彼女もまた、昆虫をある意味で愛していた。昆虫を冷凍して、動かないようにして、顔にのせたり、舌の上にのせたりして撮っていた。美しい長い足に等間隔に虫をのせて撮っていた。20:15分ごろに店に戻り、さぞかしサイン会待ちの埼玉のおっさんがウロウロしているのだろうな、と思ったのだが、どうも様子がおかしい。店内にはあいかわらず、彼女のこと、彼女のサイン会のあることなんか知らないはずの、下北沢のけまらしいサブカル風の女子ばっかりだ。20:30、係員が、「では、整理券1番から10番をお持ちの方、中へお入りくださーい」と声をあげる。裏口のシャッターを閉めた狭いスペースに番号順に整列待機させられるようだ。ほいで、その整理券一桁台を持っていた熱狂的なファンが全員、女子なのだ。しかもサブカルなのだ。なんだこれは。なんなんだこれは。結局90人ほどが狭いスペースに詰め込まれた。まだ10部ほど残っているようで、これは待機しているあいだに徐々に売れて、最終的には100人になった。すごく狭くて暑かった。俺はアイホンでブクマをしていたかったのだけど、もう電池がきれかけていたのでやめて、ただ呆然と、女子率50%だか60%だかのサブカル集団の中に取り残される感じだった。平日の夜20:30、たしかにふつうに男子サラリーマンのアラフォーは下北沢なんかに来る暇がないということもあるだろう。
待機所で説明を受ける。写真は完全NGということだった。サインと握手のみ。俺は写真家が写真NGにするなんて想像していなかったので、非常に残念な気分になった。かわりに係の人が様子をスマートフォンで撮影していた。それが彼女のブログにあとで掲載された。俺は倒産すべきオリンパス社のPEN E-P1に、風景用の14mmF2.5、接近ポートレート用の20mmF1.7を持参していたのに、彼女を生で、撮ることはできなかった。写真がNGであるという説明を聞いて、実はかなり彼女に失望してしまったりもしていた。彼女の言動には不思議なメンヘラ感といってまずければなんといえばいいのか思いつかない感じがあって、写真をNGにするような雰囲気にはないと思っていたのに。それから整理券の裏側に、これからペンを回しますので、サインに添えて欲しいお名前を記載してください、と説明を受けた。俺はサインに添えて欲しい名前をそこにペンで記載して、うしろのサブカル女に手渡した。待機所は死ぬほど暑く、ユニクロのヒートテック上下にユニクロのシャツ、ユニクロのズボン、ユニクロのセーターにユニクロのプレミアムダウンジャケットを着ていた俺は半ば汗だくになりかけていた。汗だくになりかけていた俺は後ろのサブカル女にペンを渡した。彼女はそこにおそらくは自分の本名を書いていた。整理券1番から順番に待機所から店の中のサイン会デスクのほうへひとりひとり向かっていった。71番の俺までまわってくるにはまだまだ時間がかかりそうだった。奥のほうで、すごいかわいい!とか、いろんな声が聞こえた。泣き声も聞こえた。笑いも聞こえた。ありがとう!という声はたぶん、照沼ファリーザ本人の声だと思った。あの「カリがデカーい」というときの、あの声だと思った。
そして俺の番になった。俺は整理券を裏返して、サインに添えて欲しい名前を示し、軽くその説明をした。照沼ファリーザさんは「はい」といってサインを書き始めた。横にいた係員さんがひとつお取りくださいという。俺は彼女の手作りストラップをひとつ取った。サインが終わると、俺は右手を差し出した。彼女は俺のアトピーでボロボロ、傷だらけの右手を両手で握りしめた。それでありえないほど長く瞬きもせずにまっすぐな瞳で俺の顔を凝視した。「カリがデカい」とか、なにか感想があるのかないのか知らないが、彼女はべつになにも言わなかった。俺はブクマで[主語がデカい]というタグをつけようかと思うたびに彼女のあの言葉を思い出す。俺は彼女に、いわゆる街で芸能人を見かけてすげー綺麗だ、というあのオーラを感じなかった。昔、久我山駅前で撮影中の浅香唯を見かけたときのような、なんだこの小さすぎる顔は!みたいな驚きはなかった。いつものフレッシュ撮影会的な感性でいえば、すごく美人ではあるが、すげえオーラのある感じではなく、むしろそこいらへんによくいるすげー美人だという感じと、あとはかなり疲労困憊しているふうに見えた。風邪気味だろうかと思った。最近では自動的に少し批判的な意味を帯びる[主語がデカい]というタグをつけるのはやめたほうがいいと思い始めた。むしろ[この国は認識が甘い]としたほうがよい気がしている。そしてすこし表情も不自然な感じを持った。別に俺と対峙しているときの表情が、というのでなく、他の人に対峙するときも含めて、少し顔が赤らみ、熱があるように見えた。これがなんなのかはよく分からない。
すべての写真に作品名がつけられ、インターネットにはそれぞれコラムかポエムが添えられていた。その作品の数々のほかに、巻末にはそれ以外のスナップもたくさん小さく掲載されていた。その中には、三脚に乗せられたEOS(5DMarkII?)に、EF24-70mm F2.8L USMを装着して、撮影に臨む彼女の姿も写っている。「野外でヌード撮影をするときには、見張りぐらいほしいな〜とか思った」こととは別に、アシスタントなりなんなりはいなかったのだろうかと思うのだけども、俺が誰かのセルフポートレート写真を見るとすぐにけまらしいと感じる理由が随行者の存在の空気であり、平民さんがどうやって自分を撮っているのか全く想像できないからだし、セルフタイマーを使って自分を撮ってる女性を見かけると好ましい気持ちになると平民さんが書いているようなシーンを出不精な俺は見かけたことがないからだし、これらの作品のうちどれだけが「ひとりで」撮られたものなのだろうと想像すると、それはもうキン肉バスターを超えていろいろと考えてしまうのだ。自分ももう少し、非コミュだからひとりじゃないとなんにもできない+ひとりじゃこれぐらいしかできない、みたいな寝ぼけた愚痴を言いたがるヘタレの俺でももう少し、なにか撮れるのではなかろうかという、そういう方面に影響を与えてくるのだからやはり写真家といっていいじゃないか、下北沢の雰囲気は嫌だけれども、と感じるのだ。
AVはお仕事であるから、彼女は必要な限りそのルールにしたがい名前を変えるのだという。自分で撮りたい写真を撮るについては、シリア人の父、日本人の母のもとにサウジアラビアで生まれて日本で育った彼女の本名、照沼ファリーザを使う。彼女の本名のほうのツイッターの被フォローを見ると、俺がほかにフォローしている写真家の人がほとんどみんなズラズラと出てくる。で、俺は未だに、自分の本名など好きになれないのだが。
- 作者: 照沼ファリーザ
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